レオポルド・マウントバッテン

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レオポルド・マウントバッテン卿

レオポルド・アーサー・ルイス・オブ・バッテンバーグ(Prince Leopold Arthur Louis of Battenberg, 1889年5月21日 ウィンザー城 - 1922年4月23日 ケンジントン宮殿)は、ドイツの上級貴族バッテンベルク家の公子で、イギリス王室の一員。第1次世界大戦中の1917年、一族とともに正式にイギリスに帰化してレオポルド・マウントバッテン(Lord Leopold Mountbatten)と名乗った。

バッテンベルク公子ハインリヒ・モーリッツ(ヘンリー)と、その妻でイギリスのヴィクトリア女王の末娘であるベアトリス王女の間の第3子、次男として生まれた。父ヘンリーはヘッセン=ダルムシュタット大公子アレクサンダーユリア・ハウケ伯爵夫人との貴賤結婚で生まれた息子で、イギリス陸軍の士官となっていた。すぐ上の姉のヴィクトリア・ユージェニー(エナ)スペインアルフォンソ13世の王妃となった。レオポルドは兄弟の中では唯一、母を通じてヴィクトリア女王から遺伝した血友病を抱えて生まれた(姉のエナは保因者だった)。

バッテンベルク家の成員としてバッテンベルク公子(Prinz von Battenberg)の称号と「諸侯家の殿下(Durchlaucht/His Serene Highness)」の敬称を有したが、1886年に出されたヴィクトリア女王の勅許状により、レオポルドと兄弟はイギリス領内に限ってより上位の「(傍系の)王家の殿下」(Hoheit/His Highness)の敬称を許されていた。

第1次大戦中の1917年、従兄のイギリス王ジョージ5世は国民の反独感情を慮って王家の家名をウィンザー家に変更し、ドイツ王侯としての諸称号を放棄して、王室がイギリス国民であることを強調した。これに従い、イギリス王室の庇護下にあったバッテンベルク家の人々もドイツ国籍を捨ててイギリスに帰化することになった。1917年7月14日の国王勅許状により、レオポルドは公子としての称号・敬称を放棄してサー・レオポルド・マウントバッテン(Sir Leopold Mountbatten)と名乗った。同年9月、レオポルドは国王勅許状により侯爵の(次男以下の)子息と同等の宮中席次を与えられ、レオポルド・マウントバッテン卿(Lord Leopold Mountbatten)と名乗った[1]

1912年にイギリス陸軍ライフル兵部隊(King's Royal Rifle Corps)所属の少尉となり、1914年に中尉とされた。その後、陸軍大尉に昇進している。1922年、臀部の手術中に死去した[2][3]。遺骸はフロッグモアの王室墓地(Royal Burial Ground, Frogmore)に葬られた。

脚注[編集]

  1. ^ London Gazette: no. 30374, pp. 11592–11594, 1917年11月9日. 2007年11月15日閲覧。
  2. ^ Hesse and by Rhine (Darmstadt) Royal Family; comments to 5.1443 - QVD”. 2012年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月5日閲覧。, Retrieved on 5 June 2010
  3. ^ Leopold Arthur Louis Mountbatten, Retrieved on 5 June 2010