レオポルト・フォン・ダウン

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Leopold Josef Graf Daun

ダウン伯レオポルト・ヨーゼフ・マリア(Leopold Joseph Maria Graf Daun, Fürst von Thiano, 1705年9月24日1766年2月5日)はオーストリアハプスブルク君主国)の軍人マリア・テレジアの治世を軍事面で支えた人物として知られる。父ヴィリッヒ・フィリップ・ロレンツ・フォン・ダウンもまた、オーストリアに長く仕えた歴戦の軍人であった。

当初は聖職者の教育を受けたが、軍人であった祖父と父親の影響で、軍人としての道を歩む。1718年に軍隊に入り、ポーランドオスマン帝国との戦争に従軍。オーストリア継承戦争(1740年 - 1748年)でも活躍し、1754年には陸軍元帥に昇進した。

オーストリア継承戦争の終結後、マリア・テレジアの命により陸軍の改革を行い、士官学校の設立に貢献。

七年戦争(1756年 - 1763年)においては、皇帝フランツ1世の弟カール・フォン・ロートリンゲンの後任として総司令官となり、フリードリヒ2世の率いるプロイセン軍と戦った。

七年戦争では、コリンの戦い(1757年6月18日)、ホッホキルヒの戦い(1758年10月14日)などでプロイセン軍を破り、フリードリヒ2世の好敵手として知られるが、彼の用兵は消極的に過ぎる、としばしば批判もされている。クラウゼヴィッツも『戦争論』でダウンを取り上げているが、その評価は手厳しい。一方ではその慎重な作戦がプロイセン軍を苦しめている面もあり、軍人としての評価は一概には言えない所である。