レオポルト・フォン・シュレンク

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Leopold von Schrenck.

レオポルト・フォン・シュレンクLeopold von Schrenckロシア語: Леопольд Иванович фон Шренк1826年 - 1894年1月8日)はロシア帝国動物学者・地理学者・民族誌学者。

経歴[編集]

シュレンクはバルト・ドイツ人の生まれであり、サンクトペテルブルク南西のホテニ[訳語疑問点]で育った。タルトゥ大学で博士号を取得し、フンボルト大学ベルリンおよびケーニヒスベルク大学英語版にて自然科学を研究した。彼はアヴローラАврора)の世界周航の乗組員として参加した。

1853年シュレンクはサンクトペテルブルク科学アカデミーによってアムール地方探検へとスクーナー・ヴォストークで送り出された。1854年、植物学者のカール・マキシモヴィッチとともにアムール川河口に到達。1855年2月にサハリンを訪れ、春から夏にかけてアムール川を探検した。1856年バイカル湖を経由して陸路でヨーロッパへ帰還。自身の発見を1860年、Reisen und Forschungen im Amur-Landeとして発表した。彼はロシア地理学会でコンスタンチン・メダルを授与された。

晩年のシュレンクは研究対象をロシアの原住民族へと向けた。1879年11月10日、サンクトペテルブルクのピョートル大帝記念人類学民俗誌学博物館の館長に任命された。

多くの動物種名がシュレンクに因んで名付けられている。

先代:
サンクトペテルベルクの民俗誌学および解剖学博物館を統合して新設
ピョートル大帝記念人類学民俗誌学博物館館長
1879–1894
次代:
ヴァシリー・ラドロフ

参考資料[編集]

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