ルートヴィヒ5世 (バイエルン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ルートヴィヒ5世(Ludwig V., 1315年 - 1361年9月18日)は、14世紀上バイエルン公ブランデンブルク辺境伯チロル伯も兼ねた。神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世とヤヴォル公ボルコ1世の娘ベアトリチェの長男。シュテファン2世は同母弟、ルートヴィヒ6世ヴィルヘルム1世アルブレヒト1世オットー5世は異母弟である。

1323年、8歳で父からブランデンブルク辺境伯領を譲られ、1342年にはケルンテン公ハインリヒ6世の一人娘でヨハン・ハインリヒと離婚したマルガレーテと結婚した。この領土拡大政策は諸侯の反発を招き、マルガレーテとルートヴィヒ夫妻は破門1346年カール4世対立王に擁立される原因になった。

1347年に父が没した時、義兄のマイセン辺境伯フリードリヒ2世ドイツ王に推戴しようとしたが、拒否された。1349年にはギュンター・フォン・シュヴァルツブルクを対立王に擁立したが、ギュンターはすぐに退位した。同年、5人の弟と父の遺領を分割、ルートヴィヒ5世は上バイエルンを異母弟のルートヴィヒ6世、オットー5世と共同統治することになった(下バイエルンは同母弟のシュテファン2世、異母弟のヴィルヘルム1世、アルブレヒト1世が治めた)。

1351年、ブランデンブルク辺境伯領をルートヴィヒ6世に譲渡、引き換えに上バイエルンはルートヴィヒ5世の単独統治となった(オットー5世も所領を譲った)。オーストリア公アルブレヒト2世の尽力で1359年に破門を解除されるが、1361年に46歳で死去した。

マルガレーテとの間の子マインハルトに遺領が相続されたが、マインハルトも1363年夭折すると、ルドルフ4世とシュテファン2世が領土を巡って争うことになる。

家族[編集]

1324年デンマーク王クリストファ2世の娘マルガレーテ(1305年 - 1340年)と結婚した。

  1. エリーザベト(1326年 - 1345年)

1342年にチロル伯領相続人マルガレーテ(1318年 - 1369年)と再婚した。

  1. ヘルマン(1343年 - 1360年)
  2. マインハルト(1344年 - 1363年) - 上バイエルン公、チロル伯マインハルト3世

他に2人の娘がいたが、夭折したようである。

先代:
ルートヴィヒ1世
ブランデンブルク辺境伯
1323年 - 1351年
次代:
ルートヴィヒ3世
先代:
ルートヴィヒ4世
バイエルン公
1347年 - 1349年
シュテファン2世ルートヴィヒ6世ヴィルヘルム1世アルブレヒト1世オットー5世と共同統治
次代:
上バイエルンと下バイエルンに分割
先代:
バイエルンから分割
上バイエルン公
1349年 - 1361年
ルートヴィヒ6世オットー5世と共同統治(1351年まで)
次代:
マインハルト
先代:
ヨハン・ハインリヒ
チロル伯
1342年 - 1361年
マルガレーテと共同統治
次代:
マインハルト3世