ル・ブルジェ

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Le Bourget
Blason Le Bourget 93.svg
Le Bourget Mairie.jpg
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル=ド=フランス地域圏
(département) セーヌ=サン=ドニ県
(arrondissement) ボビニー郡
小郡 (canton) ブルジェ小郡
INSEEコード 93013
郵便番号 93350
市長任期 ヴァンサン・カポ=カヌヤス
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération de l'aéroport du Bourget
人口動態
人口 13,610人
2008年
人口密度 6 543人/km²
住民の呼称 Bourgetins
地理
座標 北緯48度56分07秒 東経2度25分32秒 / 北緯48.9352777778度 東経2.42555555556度 / 48.9352777778; 2.42555555556座標: 北緯48度56分07秒 東経2度25分32秒 / 北緯48.9352777778度 東経2.42555555556度 / 48.9352777778; 2.42555555556
標高 平均:?m
最低:38m
最高:48m
面積 2.08km² (208ha)
Le Bourgetの位置
Le Bourget
公式サイト le-bourget.fr
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ル・ブルジェLe Bourget)は、フランスイル=ド=フランス地域圏セーヌ=サン=ドニ県コミューン。1919年に開港したル・ブルジェ空港がある。コミューンの歴史は空港と密接につながっている。

地理[編集]

パリ北部の郊外コミューンであるル・ブルジェは、パリのブールヴァール・ド・マレショーから約7km、ノートルダム・ド・パリから約10.4km離れている。ル・ブルジェは、シャルル・ド・ゴール国際空港とその経済エリアから約10km離れている。

交通[編集]

  • 道路 - A1、RN2、RN17
  • 鉄道 - RER B線ブルジェ駅。

由来[編集]

ル・ブルジェとは、ラテン語で町を意味するburgusから派生した、Burgellumからきている[1]。今日我々が知っているル・ブルジェのつづりが現れたのは、15世紀である[2]

歴史[編集]

1870年の戦闘後に撮影されたサン・ニコラ教会

ガロ=ローマ時代、非常に交通量の多い道路がル・ブルジェの地を通っていた。したがって、ル・ブルジェの地に人が定住したのは当然のことだった[2]

ル・ブルジェについて最初に言及したのは、ルイ6世がモンマルトル修道院にル・ブルジェの土地を割譲した、1134年にさかのぼる[3]。その後のル・ブルジェは、パリ=フランドル間の道路に接続した、小さな農村だった。9世紀、Burgellumの古い集落にハンセン病病院があった[4]。ル・ブルジェには9世紀からフランドル道を旅する人間のための宿があり、15世紀には郵便局が設立された[2] · [3]

1573年、モンマルトル修道院の修道女たちは年60リーブルでル・ブルジェをメニル領主アントワーヌ・ド・ブロイへ貸した[3]。16世紀後半から、ル・ブルジェの支配はル・ブラン=メニルと合わせて行われた。1580年、ル・ブルジェ領主となったのはニコラ・ポッティエで、彼の子孫は1680年まで治めた[5]。1700年まで、ル・ブルジェはル・ブラン=メニル領主に臣従した[3]。しかし最後の相続人であるル・ブラン=メニル嬢が死ぬと、ル・ブルジェは自主的な行政運営ができることになり、デュニー教区の権威からもはずされた[2]

1870年、ル・ブルジェには850人が暮らしていた。産業革命の到来によって村は成長し、19世紀後半には数多くの工業が行われていた。フランドル道のおかげで、北部鉄道やグランド・サンチュールが開通した[2][6]

1870年10月、ル・ブルジェもプロイセン軍との衝突の場となった[7]。ブラッスール司令官と彼の軍隊はサン・ニコラ教会のある町を守った。エルネスト・バロシュ司令官はこの戦いで死に、彼にちなんで今日のエルネスト・バロシュ通りの名がつけられた[2]

1914年9月から、フランス陸軍はサン=シール出身者を中心としたル・ブルジェの航空予備隊を実装させ、ドイツの空からの急襲からパリのルトランシュ基地を守るため、ただちに飛行場を設置した[8][9]。1914年8月30日、ドイツ空軍機がパリに爆弾を投下した。農地買収が行われ、7つの格納庫や兵舎が建設された。1915年、ツェッペリン飛行船が夜間攻撃を仕掛けても効果的な隊の編成は期待はずれに終わり、飛行隊は第3部隊の前線に交代させられた。同時期、ルトランシュ基地の航空飛行隊は、1915年から1918年までに、45機から116機に拡充されていた。さらに、パリ城外にある基地は、航空産業の発明者や製造者にとって、実際にあらゆる種類のテストが行えるという、良い条件を示していた。

第一次世界大戦後、航空飛行隊はル・ブルジェで活動を継続し、在庫管理を行っていた。戦争終結で、民間航空会社はル・ブルジェ飛行場の設置の恩恵を受けた。最初はロンドン、ブリュッセル、アムステルダムへの路線計画が組まれ、ただちにヨーロッパ全土への計画が組まれた。1920年には年間6000人であった旅客輸送量は、パリ万国博覧会開催後の1938年には137000人に達した。よって、ターミナル建設が急がれた。ル・ブルジェは、世界4大陸をつなぐこれら飛行機を賞賛する場となっていた。

第二次世界大戦中、ドイツ軍は飛行場を接収し、面積を拡大した。1943年8月16日、アメリカ空軍が滑走路を爆撃したが、基地はフランス解放までドイツ軍が占有し続けた[8][10]

フランス解放後、ル・ブルジェ空港はアメリカ軍とイギリス軍によって再建された。1945年5月以降、45,000人の戦争捕虜や国外追放者たちがル・ブルジェ空港から送還された[8]。戦後の空港は交通量が急速に伸び、パリ市は新空港であるオルリー空港の買収を行った。1960年代、オルリー空港が飽和状態となったため利用客ル・ブルジェに戻ったが、シャルル・ド・ゴール空港が開業すると[8]、ル・ブルジェ空港は徐々に廃れていった[9]

みどころ[編集]

ゆかりの人物[編集]

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Présentation de la ville sur Site de la mairie du Bourget
  2. ^ a b c d e f Histoire des origines jusqu'au début de l'ère industrielle sur Site de la mairie du Bourget
  3. ^ a b c d Seigneurie du Bourget”. 2011年6月25日閲覧。
  4. ^ la léproserie du Bourget”. 2011年6月25日閲覧。
  5. ^ Source : Abbé Lebeuf, Histoire de la banlieue ecclésiastique de Paris, 1755 )
  6. ^ Station Bourget - Drancy sur Atlas du patrimoine du 93
  7. ^ Chemins de mémoire : 1870-1871. Le conflit franco-allemand”. 2011年6月25日閲覧。
  8. ^ a b c d Histoire de l'aéroport du Bourget”. 2011年6月25日閲覧。
  9. ^ a b Le « port aérien » du Bourget”. 2011年6月25日閲覧。
  10. ^ Le Bourget, une ville liée à l'histoire de l'aéronautique”. 2011年6月25日閲覧。