ルビコン川

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ルビコン川の流路(青線)

ルビコン川Rubicon)は、イタリア北部を流れるで、リゾート地として開発されているガッテーオ・ア・マーレアドリア海に注ぐ。

全長は50キロ弱とそれほど長くはない川である。ルビコンとはラテン語での呼び名で、現在イタリア語ではルビコーネRubicone)と呼ばれている。 一時は乱開発が進んだことなどにより、エミリア=ロマーニャ州で最も汚れた川の一つに数えられていたが、現在ではきれいになっている。

共和政末期の古代ローマにおいては、本国である「イタリア」と属州ガリア・キサルピナの境界線の役割を果たしていた。軍団を連れてこの川を越え南下することは法により禁じられており、その南下行為はすなわち共和国に対する反逆とみなされた。

一般にルビコン川の名前は、紀元前49年1月10日ローマ内戦においてユリウス・カエサルがルビコン川を渡ったことで知られる。この際に「賽は投げられた」(Jacta Alea Est, ヤクタ・アーレア・エストゥ)と檄を発したことは余りにも有名である。「ルビコン川を渡る」は以後の運命を決め後戻りのできないような重大な決断と行動をすることの例えとして使われている。

ガッテーオ・ア・マーレから右岸沿いに小道があり、堤防に沿って南西の上流に続く。いくつかの村があるが、約25kmほどさかのぼるとサヴィニャーノという町に着く。鉄道のガードをくぐると、広い道に突き当たるが、右手にある橋を渡らず、そのまま細い右岸の道をたどる。200mほどで行き止まりだが、突き当たりにカエサルの立像がある。

右には石造りの橋があり、修復されているが、川へ降りて橋をよく見るとアーチの根本部分に、古代の石積みが保存されている。下流は湿地帯だが、さかのぼるにつれて川岸もしっかりとしてくる。サヴィニャーノ付近は峡谷状で両岸は岩である。カエサルの軍が橋を架けるのも容易だったと思える。

カエサルの像は地元の研究者やロータリークラブが立てたもので、確証はないがカエサルはこの橋を渡った可能性が強いと考えられている。

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