ルイーズ・ダルトワ

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ルイーズ・マリー・テレーズ・ダルトワ(1840年ごろ)

ルイーズ・マリー・テレーズ・ダルトワ(Louise Marie Thérèse d'Artois, 1819年9月21日 - 1864年2月1日)は、復古ブルボン朝期のフランスの王族。

シャルル10世の次男シャルル・フェルディナン・ダルトワとその妻で両シチリア公フランチェスコ1世の娘であるマリー・カロリーヌの間の長女として生まれた。弟はフランス王位請求者アンリ・ダルトワ(シャンボール伯)。イタリア名はルイーザ・マリア(Luisa Maria)。

1830年七月革命勃発後、祖父シャルル10世、叔父アングレーム公夫妻、弟アンリらと共にフランスから亡命した。母マリー・カロリーヌは1832年ルイ・フィリップ1世を追い落として息子アンリを王位につけようとクーデターを起こそうとした際に逮捕され、エットール・ルッシーリ・パッリ伯爵との秘密結婚が明らかとなり、それに怒ったシャルル10世によりブルボン家から縁を切られたため、ルイーズとアンリは幼い頃から懐いていた伯母のマリー・テレーズに養育された。

1845年に亡命先のゴリツィアのグラッファンベルク城からパルマ公カルロ3世に嫁ぎ、4人の子供をもうけた。

1854年に夫カルロ3世が暗殺された後、息子ロベルト1世の摂政となるが、1859年に起こった第二次イタリア独立戦争により、息子とともにその地位を追われると、オーストリアの保護を求めてヴェネツィアに逃がれた。その後、様々な復権運動が起きたものの、全て失敗に終わり、1864年にヴェネツィアで死去した。

参考文献[編集]

  • 『マリー・テレーズ』スーザン・ネーゲル著 櫻井郁恵訳(近代文芸社、2009年)