ルイーズ・アデライード・ドルレアン

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ルイーズ・アデライード・ドルレアン、ジャン=バティスト・サンテール画、ヴェルサイユ宮殿

ルイーズ・アデライード・ドルレアンMarie Louise Adélaïde d'Orléans, 1698年8月13日 - 1743年2月10日または2月19日?)は、フランスの王族。オルレアン嬢(Mademoiselle d'Orléans)と呼ばれた。オルレアン公フィリップ2世フランソワーズ・マリー・ド・ブルボンの第3子としてヴェルサイユで生まれた。

1719年シェル修道院の女子修道院長となった。ルイーズは音楽、神学、科学に長けており、特に手術に興味を持った。非常にスピリチュアルな人物であったとされる。サン=シモン公爵は、彼女には修道女がいない代わりにドレスがあったと記しており、作家ジャン・ラシーヌの父であるルイ・ラシーヌは彼女の修道院でこう書き残している。

喜び、美しさ、青春期、栄誉、栄光、力

野心的な望みが許され生まれる
子羊の脚たちは 彼女によって犠牲にされた

ルイーズは1743年にパリで亡くなった。