ルイ・クープラン

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ルイ・クープランLouis Couperin)は、初期バロック音楽フランス作曲家・オルガニスト。ショーム・ザン・ブリにおいておそらく1626年に生まれ、パリ1661年に没した。クラヴサンオルガンヴィオール演奏の達人でもあった。甥の「大クープラン」ことフランソワ・クープランに次いで、クープラン一族の中では最も高名な音楽家である。23歳までの前半生についてはほとんど分かっていない。

ルイ・クープランは二人の弟とともに、ジャック・シャンピオン・ド・シャンボニエールのために、聖ヤコブの祝日に臨時演奏会を催した。シャンボニエールは17世紀前半のフランスで最も傑出したクラヴサン奏者ならびに国王付き音楽家であった。シャンボニエールによってルイ青年の才能が認められたことにより、1650年パリに上京し、まもなくサン=ジェルヴェ教会オルガニストの称号を手にする。ガンバ奏者やクラヴサン奏者としても栄誉を受けた。ヨハン・ヤーコプ・フローベルガーも当事パリに居り、確かなことは言えないものの、おそらくルイ・クープランと出逢って、互いに影響を及ぼし合ったものと看做されてきた。

ルイ・クープランは大作曲家としての名声を、主にクラヴサン曲から受けてきた。短い一生の間に、130曲以上の未出版作品を残し、それらは、いくつかの自筆譜にまとめられ、「組曲」という楽種をかたづくっている。なかでも、プレリュード・ノン・ムジュレシャコンヌが目立った作品である。長らく数少ないオルガン曲のみが知られてきたが、20世紀半ばになると、イングランドで大量の自筆譜が発見された。このことから、ルイ・クープランが17世紀ヨーロッパのオルガン曲に多大な影響力を及ぼしていたことが明らかとなった。

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