ルイサ・デ・グスマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ルイサ・デ・グスマン

ルイサ・デ・グスマン (Luisa de Guzmán, ポルトガル語表記:Luísa de Gusmão、1613年10月13日 - 1666年2月27日)は、ポルトガルジョアン4世の王妃。

サンルカル・デ・バラメンダ(カディス県)で、スペインの第7代メディナ=シドニア公アロンソ・ペレス・デ・グスマンの孫娘(第8代公爵フアン・マヌエルの娘)として生まれた。ブラガンサ公ジョアンと結婚した。

ルイサは男勝りの女性で、1640年のポルトガル再独立の際には、弱腰になりかけた夫を奮い立たせて反乱側に付かせた。スペインに対抗してポルトガル王・王妃になったら、命を狙われるだろうとの警告に対して、彼女は「一生を公妃で終わるより、一日だけの王妃のほうがましです」と言ったという。

1641年にジョアン4世を狙った暗殺事件が未遂に終わると、首謀者とされたカミナ公ら貴族を処刑するよう進言したという。

ジョアン4世の死後は、息子アフォンソ6世が継いだが、成年に達しておらず、また障害もあったため、ルイサが摂政となった。ルイサは、カステロ・メロール伯の陰謀の標的にされた。内外ともスペインがあの手この手で妨害を仕掛けてくる中、ルイサはイングランドとの同盟に成功し、ポルトガル独立の承認を各国から取り付けることになった。以後、彼女はポルトガルの実権を掌握し、息子に引き継ぐまで辣腕をふるった。

多くの絵画で、頭部に白いしまとして描かれているが、ルイサには尋常性白斑があったという。

子供[編集]

関連項目[編集]