リビア航空
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| 設立日 | 1964年 | |||
| ハブ空港 | トリポリ国際空港 | |||
| 焦点空港 | ベンガジ・ベニナ空港 | |||
| 保有機材数 | 17 | |||
| 就航地 | 26 | |||
| 親会社 | Jamahiriya Libyan Arab Airlines | |||
| 本拠地 | リビア・トリポリ | |||
| 代表者 | Eng. Tareck Arebi, Chairman | |||
リビア航空(リビアこうくう、Libyan Airlines)は、リビアのトリポリを本拠地とする航空会社で、リビアのフラッグ・キャリアでもある。アラブ航空会社機構(Arab Air Carriers Organization)の一員。2006年まではリビア・アラブ航空と称していた。
目次 |
概要 [編集]
1964年、王政期のリビアの国営航空会社「リビア王国航空」として設立された。1969年9月1日の革命後も国営航空会社として残ったが、この時に社名を「リビア・アラブ航空」と改称している。
1980年代にはイギリスとの国交断絶に伴い、ロンドンへの乗り入れが中止された。さらに1986年1月にはアメリカ合衆国が経済制裁を課したため、航空機の購入にも影響が出ることになった。1988年のパンナム機爆破事件によって1992年には国際連合から経済制裁を課せられたため、国際線の運航が事実上できなくなった。
これらの経済制裁が1999年4月に解除された後は、国際線の運航も再開された。また、エアバス・ボーイング等の航空機の導入を積極的に進めて、経年機材の置き換えを進めている[1]。
2007年9月からは、電子航空券の運用を開始した。
機材 [編集]
前述のように、リビアが各種の経済制裁を課せられてやり、イギリスやアメリカなどのいわゆる西側各国と仲違いの状態にあったにもかかわらず、導入機材は大半が西側航空機メーカーの機材であったため、1980年代から1990年代にかけては航空機の導入にも影響が出ていた。発注はしたが受領できなかった機材や、受領しても満足な運航ができなかったケースもある。
エアバスA320-200(ロンドン・ヒースロー空港にて)
- フォッカー F27
- フォッカー F28
- BAC 1-11
- グラマン ガルフストリーム II
- ボーイング727
- ボーイング737
- ボーイング767
- エアバスA300-600R
- エアバスA310
- 1986年にブリティッシュ・カレドニアン航空で退役した2機(C-BKWT・G-BKWU)を、香港のコブラ・エアウェイズ経由で導入したことがある(5A-DLA・5A-DLB)[2]。しかし、エンジンがアメリカ製であることから1機分のエンジンしか入手できなかった上、乗務員派遣の手配で不手際が重なったため、自社運航が満足にできないまま1988年にアルジェリア航空へ譲渡された(7T-VJE・7T-VJF)[3]。
- エアバスA320
- エアバスA330
- エアバスA350(発注中)
- ボンバルディアCRJ900(発注中)
過去に使用していた機材 [編集]
- 発注したが受領できなかった機材も含める。
- シュド・カラベル
- イリューシン76
- ボーイング707
- ボーイング747
- 自社発注を行ったことがあるが、アメリカの経済制裁に抵触したため、受領できなかった。
- エアバスA300C4-203
- ダグラスDC-10
- ロッキード L-1011 トライスター