CAリーベル・プレート

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CAリーベル・プレート
原語表記 Club Atlético River Plate
愛称 River、Los Millonarios, La Banda
クラブカラー 赤と白
創設年 1901年
所属リーグ アルゼンチンリーグ
所属ディビジョン プリメーラB・ナシオナル
ホームタウン ブエノスアイレス
ホームスタジアム エル・モヌメンタル
収容人数 65,645
代表者 ダニエル・パサレラ
監督 マティアス・アルメイダ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

クルブ・アトレティコ・リーベル・プレートClub Atlético River Plate)は、アルゼンチンブエノスアイレスを本拠地とするスポーツクラブである。通称はリーベル。日本においてはリバープレートという表記も用いられている[1]

プロサッカー部門は、同クラブの各部門の中でも最も際立った存在であり、現在プリメーラB・ナシオナルに所属している。アルゼンチン国内における5大クラブ (los cinco grandes) のひとつに数えられており、これまでの同リーグでの優勝回数33回を誇る名門クラブチームである。また国際タイトルは合計11獲得しており、その中には2度のコパ・リベルタドーレス優勝と1度のインターコンチネンタルカップが含まれる。またアマチュアであった頃にタイトルを1度獲得している。国際サッカー歴史統計連盟により、2000年度以降4度、月間世界最高サッカークラブに選出された経験も持つ[2]

アルゼンチンのサッカーリーグがプロリーグ化した1931年から1部リーグの座を守り続けていたが、2011年に初の2部降格が決定した。

ホームゲームは65,000人を超えるキャパシティを持つエル・モヌメンタルで開催されている。同じリーグに所属するボカ・ジュニアーズとの対戦は、「スーペルクラシコ」と称され、イギリスの新聞オブザーバーにて、「死ぬ前に1度は見ておかなければならない50のスポーツイベント」のひとつだとされている[3]。一方同じくイギリスの新聞ザ・サンにて、記者のアンドルー・ハイは「世界のスポーツで最も壮大なイベントのひとつ」[4]だと評している。またCAインデペンディエンテ・CAサン・ロレンソラシン・クラブとも古くからライバル関係にある。

目次

[編集] 概要

白地に左肩から右下へ伸びる赤いタスキ模様のホームゲーム用ユニフォームが特徴。通称である「リーベル」は、ラプラタ川の英語表記であるRiver Plateのリオプラテンセ・スペイン語発音が由来である。 選手育成を重視しており、多数の有名選手を輩出している。1930年代に多額の移籍金でライバルクラブから選手を獲得したことから、ロス・ミジョナリオス(億万長者)の異名を持つ[5]

[編集] 歴史

1901年3月25日サンタ・ロサ (Santa Rosa) とラ・ロサレス (La Rosales) の2クラブが合併する形で、ブエノスアイレス近郊のラ・ボカ (La Boca) に創設された。後、複数の候補の中から現在のリーベル・プレートという名称に決定された。ブエノスアイレス都市部のサランディ (Sarandí) にあるスタジアムをしばらくホームスタジアムとして用いていたが、後ラ・ボカに戻り、更にレコレタ (Recoleta) へと移転した。クラブはレコレタにスタジアムを保有していたが、1938年に手狭となり、現在の所在地であるヌニェス (Núñez) との関係が常にあったにもかかわらず、ブエノスアイレス北部のベルグラノ (Belgrano) への移転を余儀なくされた。

1931年にはカルロス・ペウセレを10000ドルで、1932年にはベルナベ・フェレイラを35000ドルで獲得。ロス・ミジョナリオス(Los Millonarios)と呼ばれたチームは1932年にリーグを初優勝、1936年にもリーグを制した。1936年は34試合で勝ち点58、106ゴールを挙げた。1938年5月25日にエスタディオ・モヌメンタルが開場。CAペニャロールとの記念試合が行われた。

"La Máquina"(ラ・マキナ)(1941年)
左からムニョス、モレノ、ペデルネラ、ラブルナ、ロウストウ

1940年代には、フアン・カルロス・ムニョスホセ・マヌエル・モレノアドルフォ・ペデルネラアンヘル・ラブルナフェリックス・ロウストウらを擁しラ・マキナ(La Maquina)と称されるチームを構成。1941年、1942年とリーグを連覇すると、1945年、1947年にもリーグ優勝した。1950年代にもラブルナやオマール・シボリらが活躍。1952年、1953年とリーグを連覇すると、1955年からは3連覇を果たした。しかしその後18年間、リーグタイトルから遠ざかった。

エンツォ・フランチェスコリ

1975年にラブルナが監督に就任すると、前後期共にリーグ優勝。ウバルド・フィジョールダニエル・パサレラロベルト・ペルフーモフアン・ホセ・ロペスノルベルト・アロンソオスカル・マスら国内の実力者を擁した。1981年にはラブルナに変わってアルフレッド・ディ・ステファノが監督となり、マリオ・ケンペスフリオ・オラルティコエチェアアメリコ・ガジェゴが加入した。1985-86シーズンにはリーグ優勝するとともに、コパ・リベルタドーレスインターコンチネンタルカップを獲得。翌年にはコパ・インテルアメリカーナでも勝利した。

長年アルゼンチンの名門クラブとして君臨してきたリーベルだったが、1991年にホセ・マリア・アギラールが会長に就任してから、クラブは経営危機などの問題を抱えるようになった。その中には、クラブが「バーラ・ブラバ」(過激なサポーター集団)へ利益を与えるという癒着構図も存在している。2007年には、ゴンサロ・イグアインの移籍で得た利益を奪い合ってバーラ・ブラバ同士の派閥闘争が起こり、その中のメンバーが銃で殺害される事件が発生した。こうした状況下でクラブの成績も低迷しており、クラブ史上初となる2部リーグ降格の危機に直面していた[6]

2007年後期リーグでは優勝を果たし、名門復活かと思われたが、翌シーズンの前期リーグでは最下位に沈み、さらに2009-2010シーズンも前期14位、後期13位と下位に終わった。2010-2011シーズンは再び調子を取り戻し、翌年のコパ・スダメリカーナの出場権獲得を目前にしていたが、最終節でラヌースに敗北し、オリンポに過去3年間での平均獲得ポイントで逆転され、2部リーグ4位のCAベルグラーノとの入替プレーオフへ回ることになり、これによって出場権を剥奪された。

リーベルの2010-11シーズン後期成績は9位だったが、アルゼンチンリーグは過去3シーズンの平均勝ち点によって降格チームを決めるため、08-09シーズンの不振がたたり入れ替え戦を強いられることになった[7]

CAベルグラーノとのプレーオフ第1戦では、ファンの乱入で20分以上のロスタイムが取られる事態となり、結果は2-0で敗北。ホームで迎えた第2戦では2点差以上の勝利が必要だったが、観客の暴動により後半44分で試合が打ち切られ、1-1で引き分けた。これによって、リーベルプレートはクラブ史上初の2部リーグ降格が決定した。この試合には2200人の警官が動員されていたが、試合後も暴動は収まらず、アルゼンチン当局によれば68人が負傷したという[5]

[編集] タイトル

[編集] 国内タイトル

  • リーグ : 33回(Mはメトロポリターノ、Nはナシオナル、Aはアペルトゥーラ、Cはクラウスーラの略)
1932, 1936, 1937, 1941, 1942, 1945, 1947, 1952, 1953, 1955, 1956, 1957, 1975M, 1975N, 1977M, 1979M, 1979M, 1980M, 1981N, 1985-86, 1989-90, 1991A, 1993A, 1994A, 1996A, 1997C, 1997A, 1999A, 2000C, 2002C, 2003C, 2004C, 2008C

[編集] 国際タイトル

1986, 1996
1997
1987
1986

[編集] 過去の成績

  • 2001/02 後期:プリメーラ・ディビシオン 優勝
  • 2002/03 前期:プリメーラ・ディビシオン 03位
  • 2002/03 後期:プリメーラ・ディビシオン 優勝
  • 2003/04 前期:プリメーラ・ディビシオン 08位
  • 2003/04 後期:プリメーラ・ディビシオン 優勝
  • 2004/05 前期:プリメーラ・ディビシオン 03位
  • 2004/05 後期:プリメーラ・ディビシオン 10位
  • 2005/06 前期:プリメーラ・ディビシオン 06位
  • 2005/06 後期:プリメーラ・ディビシオン 03位
  • 2006/07 前期:プリメーラ・ディビシオン 03位
  • 2006/07 後期:プリメーラ・ディビシオン 04位
  • 2007/08 前期:プリメーラ・ディビシオン 14位
  • 2007/08 後期:プリメーラ・ディビシオン 優勝
  • 2008/09 前期:プリメーラ・ディビシオン 20位
  • 2008/09 後期:プリメーラ・ディビシオン 08位
  • 2009/10 前期:プリメーラ・ディビシオン 14位
  • 2009/10 後期:プリメーラ・ディビシオン 13位
  • 2010/11 前期:プリメーラ・ディビシオン 04位
  • 2010/11 後期:プリメーラ・ディビシオン 09位

[編集] 現所属メンバー

2011年4月14日 現在
No. Pos. 選手名
1 アルゼンチンの旗 GK フアン・パブロ・カリーソ
2 アルゼンチンの旗 DF アレクシス・フェレーロ
3 アルゼンチンの旗 DF カルロス・アラーノ
4 アルゼンチンの旗 DF パウロ・フェラーリ
5 アルゼンチンの旗 MF ワルテル・アセベド
6 アルゼンチンの旗 DF ホナタン・マイダナ
7 アルゼンチンの旗 FW マリアーノ・パボーネ
8 アルゼンチンの旗 FW ファビアン・ボルダガライ
9 アルゼンチンの旗 FW ロヘリオ・フネス・モリ
10 アルゼンチンの旗 MF エリック・ラメラ
11 アルゼンチンの旗 FW レアンドロ・カルーソ
13 ウルグアイの旗 DF フアン・マヌエル・ディアス
14 アルゼンチンの旗 MF エセキエル・シリグリアノ
15 アルゼンチンの旗 MF ファクンド・アフランチーノ
16 アルゼンチンの旗 DF ラミロ・フネス・モリ
17 アルゼンチンの旗 GK マリオ・ベガ
No. Pos. 選手名
18 アルゼンチンの旗 GK レアンドロ・チチソーラ
19 パラグアイの旗 DF アダルベルト・ロマン
20 アルゼンチンの旗 MF マヌエル・ランシーニ
21 アルゼンチンの旗 DF ダビ・エスピノーサ
22 アルゼンチンの旗 FW グスタボ・ボウ
23 ペルーの旗 MF ホセミル・バジョン
24 アルゼンチンの旗 FW ダニエル・ビジャルバ
25 アルゼンチンの旗 MF マティアス・アルメイダ
26 アルゼンチンの旗 DF マクシミリアーノ・コロネル
27 アルゼンチンの旗 GK ゴンサーロ・マリネーリ
29 アルゼンチンの旗 MF マウロ・ディアス
30 アルゼンチンの旗 MF ディエゴ・ブオナノッテ
31 アルゼンチンの旗 DF ルシアーノ・アベカシス
アルゼンチンの旗 DF ルーカス・オルバン
37 アルゼンチンの旗 MF ロベルト・ペレイラ
38 アルゼンチンの旗 MF マティアス・アベライラス
監督

[編集] 歴代監督

[編集] 歴代所属選手

[編集] GK

[編集] DF


[編集] MF


[編集] FW


[編集] 脚注

  1. ^ たとえばセルヒオ・レビンスキー 名門リバープレートが抱える矛盾 (1/2)成績低迷、下部組織崩壊、暴力との癒着 スポーツナビ 2009.11.20付記事やリバープレート Goal.com日本語版 2010.11.5 10:57 (UTC) 閲覧など。
  2. ^ The World's Club Team of the Month (英語) IFFHS 2010.11.5 13:14 (UTC) 閲覧
  3. ^ 50 sporting things you must do before you die (英語) オブザーバー 2004.4.4付記事
  4. ^ Andrew Haigh When football rivalries go bad (英語) ザ・サン 2008.4.2付記事
  5. ^ a b リーベル・プレート 創設110年目に初の2部降格”. AFP通信 (2011年6月27日). 2011年6月29日閲覧。
  6. ^ セルヒオ・レビンスキー (2009年11月20日). “名門リバープレートが抱える矛盾”. スポーツナビ. 2011年6月15日閲覧。
  7. ^ リーベル、クラブ史上初の2部降格”. Goal.com (2011年6月27日). 2011年6月29日閲覧。

[編集] 外部リンク

アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン 2011-2012

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