リバー

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リバーربا ribā)とは、イスラームにおいて利子を指す言葉。アラビア語で「増殖する」という意味のラバーربا rabā)から派生した語である。

なお、シャリーア(イスラーム法)におけるリバーという語は、単に西洋的な「利子」の概念よりも広い意味範囲を持ち、売手と買手の間の公平でない不当な取引による利益、あるいは不労所得として得られる利益のすべてに適用される。

他の多くの宗教では、物品を生産せず流通させるだけで利益をあげる商売というものを卑しいものとして遠ざけようとしたが、イスラームでは違う面があった。開祖ムハンマド自身が交易商であったことと関係があると考えられるが、その教えでは商業の成否は当事者の才覚によると考え、商人による「判断」を知的労働と捉え、「利潤の追求」を正当なものとした。なお、イスラーム発祥地での商業の基本的パターンのひとつが、キャラバンによる長距離交易だったことが、商売を「不労所得」と捉えない観念と関係していると思われる。別記するように、長距離交易では商人自身の才覚・努力が求められ、それらを満たしていても不慮の事故によってすべてを失うリスクを抱えていた。商業は当時交易が発達していたため

だが、商業による利潤追求を是とする一方で、「利子」については厳しく禁じている。彼らの言を借りるならば、神は商売はお許しになったが、利息取りは禁じ給うた。ということである。

「利息を貪る者は、悪魔にとりつかれて倒れたものがするような起き方しか出来ないであろう。それはかれらが『商売は利息をとるようなものだ。』と言うからである。しかしアッラーは、商売を許し、利息(高利)を禁じておられる。それで主から訓戒が下った後、止める者は、過去のことは許されよう。かれのことは、アッラー(の御手の中)にある。だが(その非を)繰り返す者は、業火の住人で、かれらは永遠にその中に住むのである。」

クルアーン2章275節(井筒俊彦訳)

イスラームでは、商業による「利潤」は労働の一種とされるが、金貸しによる「利子」は、自ら努力せず、かつ危険を負わずして財産を増殖させる「不労所得」として禁じられた。イスラームにおいては前者は推奨され、後者は徹底的に非難されるべきものであった。そのため他の宗教と同様イスラム教も商業に関する見方は一部厳しい考え方があった。


 このように日本では考えがちであるが、イスラームの原典からの理解では異なってくる。特に預言者ムハンマドの言行を記録した書物を読めば、イスラームでの利子(利息)の概念は、取引(自由意思と両当事者の合意と財の交換)と、借金(消費貸借)における利子に二種類があることがまず分かる。次に取引における利子とは、同種における取引は同重量(重さと体積)であること、そうでなければ不等の部分を利子(リバー・ファドル)と呼ぶことが理解できる、さらに一旦契約を締結した後、同時交換(売買物と代金の引渡し)がなされない場合には、初めて債権(債務)が生じるが、預言者ムハンマドの時代では同時交換が原則であるから引渡し要求はいつでもできる。その場合、支払い(引渡し)猶予による増額支払を行った場合に、それを利子(リバー・ナシーァ)と呼び、イスラームが到来して否定された。 だが疑問は残る。それは同種のものを同重量で交換する者はいないとう現実への答えが必要であるからである。簡単に言えば、同種同重量の取引に利子問題が入り込んでくる場合の具体的説明が必要なのである。これを明らかにした日本語の論文がある[要出典]。それによると、同時交換ができない場合の債務となった支払に最初の取り決めでの支払方法の変更が生じた場合にそれが利子取得行為となることである。この根拠はハディース(預言者言行録)をより尊重するマーリキ派の『ムワッタ』に記載されている。つまり、金で支払い(引渡し)債務を、一部を銀で支払ことに変更した場合には、それは利子取得行為となるので、契約が無効となるというのである。つまり、これを強調することが前記のハディースが伝えたとするのである。またもう一つのの解釈は、利子禁止を語った預言者ムハンマドの言葉の後段にある「異種間では自由に交換せよ」となっていることから、同種同重量の交換は、後者(取引)以外であることを強調したものであるとの解釈である。


 次に、取引における利子と借金(消費貸借)の利子との間をつなぐものの理解である。これについて解釈も日本語の論文にあるが、それはムダーラバ(一回限りの共同事業:日本の組合契約とほぼ同じ)ではなく、メッカ地方であったキラード(元資本補充を前提とした投資貸付)において、利子ではなく、収益を経常収支として計上し、イスラーム暦に従い、年度毎に収益を計算して出資者と事業者の間で分配する「投資貸付方式」である。この方式は、取引(事業としの商売)と、カルド(消費貸借)の両者における利子概念をつなぎ、調和させるものである。原資本補填投資貸付事業での儲けの一部を取得することは、、利子取得ではなく、収益分配である。継続的であるから、破産は資本が補充できなくなった場合、あるいは事業を終了した場合で、その場合には原資本を返済できなければ借金となる。これには利子がつかないが、債務として遺産相続者の系譜によって代々引き継がれる返済が履行される。もちろん、こうした借金(債務)を肩代わり(ハワーラ:借金の売買と似ている)や、債権者による免除が実行される場合もある。しかし借金(債務)は消えない。日本、欧米、イスラーム世界に関係なく、破産に対する考え方は債務が消えるか、継続するかで二つの立場に収斂される。


 さてアラビア語ではカルド(日本に消費貸借と同じ)と、キラード(投資貸付)が同じ語源を持つため、前者は日本の消費貸借、後者は継続(資本補填)投資貸付とに分けての説明が必要なのである。株式会社と違うことは、出資者が事業組織の所有者にならないことである。これは現代の株式会社法における株主が資本取引と称して、国際的に会社の買収と転売を行い、国民経済を翻弄するリーマンショックを引き起こすほどのグローバリズムの弊害を是正する上で、大いに貢献できるイスラームの商慣習である。  次に利子を高利と指摘する論の受け取り方でる。これは実に簡単で、収益率から理解するのが良い。産業革命以前は、農業や製造業(加工)の収益率よりも、商業の収益率より遥かに高かった。したがってクルアーンが否定する利子比率「2倍・・・。」のことばも理解できるのである。つまり、そのような利子取得が可能であったのは商業世界のみであるということの理解である。  農業や製造業で、収益が2倍以上になるのは品種改良、技術革新、設備投資、労働力の増加をもってのみ可能である。したがって、商業における高利は現実に受け入れ可能であるが、イスラームはこの一定比率の利子取得を禁止し、投資貸付における収益分配方式にするように命じた。それをメッカ地方の人が受け入れることができたのは、商業においての成功は固定利子よりも収益分配の方が遥かに多くを期待でるからである。これについても日本語の論文がある。  クルアーンで禁止されている「リバー」は、「利子」一般を指す語であるが、「高利」の意味にも用いられる。このため、この単語の解釈はウラマーらの間でも二つに分かれる。狭義の解釈では「リバー」は「高利」のみを指し、広義の解釈では「あらかじめ定められた率の利子」すべてを指すことになる。前者の解釈に拠れば、非常な高利でない限り、通常の有利子の金融活動をイスラームの枠内で行うことは可能、ということになる。しかし大勢では、やはり「リバー」は広義に「定率の利子」そのものを指すと捉え、有利子経済活動全体が禁じられていると考えられている。

イスラーム的な経済を進める上でウラマーらが検討を進めるさい、「利子」については、定義のうち、それが一定利率であるという点に特に注目される。簡単に言うと、いくつもあるヒヤル(利子禁止規定を回避する方法)のうち、大部分は「一定利率ではない」という点から「これは利子ではない」として、堂々と行われていたのである。

原理主義的な考えを持つ人々以外においては、イスラームの法というものは唯一絶対のものではなくむしろ規範であり、「必要は禁止事項より優先する」という判断がなされることも多いが、これを用いれば有利子金融の現実を容認しうるにもかかわらず、少なくとも現在の所ムスリムの多くは『リバー』についてこのような対応を正しいとは考えていないと言われる。こういった背景のもと、利子なしで運営されるイスラム銀行が生まれてきたと考えられている。しかし現代においては資本主義や現在の商業との考えとは遠くなっている。

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