リウィッラ

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リウィア・ユリアLivia Julia, 紀元前13年頃 - 紀元31年)は、第4代ローマ皇帝クラウディウスの姉。

正式な名前はクラウディア・リウィア・ユリアClaudia Livia Julia)であるが、現在では一般にニックネームのリウィッラLivilla−「小さなリウィア」の意)と呼ばれる。

大ドルスス小アントニアの娘で、ゲルマニクスやクラウディウスの姉妹。大ドルススはリウィアティベリウス・クラウディウス・ネロの息子でアウグストゥスの継子であり、小アントニアはアウグストゥスの姉小オクタウィアマルクス・アントニウスの娘であって、リウィッラは母方からアウグストゥスの血脈に属している。

リウィッラは他のユリウス・クラウディウス朝の女性たちと同様に、元首家の安定のために婚姻を行なっている。

紀元前1年マルクス・ウィプサニウス・アグリッパとアウグストゥスの娘ユリアの息子ガイウス・カエサルと最初の結婚を行なう。このときガイウス・カエサルはアウグストゥスの養子となっており、その後継者と考えられていた。しかしガイウスはアルメニアで負傷して紀元4年に死去し、リウィッラは寡婦となる。

ガイウス・カエサルの死後、リウィッラはティベリウスの息子小ドルススと2度目の結婚を行なう。ティベリウスは父大ドルススの兄であり、従兄妹同士の結婚であった。この結婚からまもなく、長女リウィア・ユリアが生まれた。

14年にアウグストゥスが逝去すると舅ティベリウスが元首に就任し、夫ドルススはその後継者候補となる。その後リウィッラは夫がパンノニアに派遣された際にこれに同行している。19年ティベリウス・ゲメッルスとゲルマニクス・ゲメッルスの双子を出産。同年に兄ゲルマニクスがシリアで急死する。これにより夫ドルススの後継者としての地位は確定的なものとなった。20年には娘リウィア・ユリアがそのゲルマニクスの遺児ネロ・カエサルと結婚した。

元首ティベリウスはその統治において親衛隊長官であったルキウス・アエリウス・セイヤヌスを片腕として重用し、徐々にその影響力は増していた。こうしたセイヤヌスの重用を後継者ドルススは快く思わず、同様にセイヤヌスもドルススの存在を疎ましく感じていた。

野心家であったセイヤヌスは自らの権勢を拡大するためリウィッラに近づき、不倫な関係を結びドルスス排除に対する自らの協力者とした。この関係を強固なものにするため、セイヤヌスはリウィッラの求めに応じて妻アピカタと離婚し、ドルススの死後の結婚を約束した。こうして紀元23年毒薬を慎重に用い、病死を装ってドルススは暗殺された。

ドルススの死後セイヤヌスの勢力は増大し、新たな後継者候補であったゲルマニクスの遺児であるネロ・カエサル、ドルスス・カエサルとその母大アグリッピナの勢力を牽制するようにもなっていった。さらに寡婦となったリウィッラとの結婚をティベリウスに求めたが、騎士階級の身分でしかなかったセイヤヌスのこの身分不相応の結婚の求めは退けられた。

その後28年にティベリウスがカプリ島に隠棲するとセイヤヌスは元首の代理人として振る舞い、ネロ・カエサル、大アグリッピナを追放しドルスス・カエサルを幽閉した。リウィッラも情夫の手助けのために自らの地位を利用した。

しかしセイヤヌスの権勢も31年に破綻する。セイヤヌスがティベリウスに対して陰謀を企てたと小アントニアから伝えられると、ティベリウスは見事な手際でセイヤヌスを逮捕、処刑しその家族、協力者を処断した。このときセイヤヌスの前妻アピカタは、自死の際にドルススの死の真相を明らかにした。

ドルスス暗殺への関与を知られたリウィッラは、ティベリウスまたは母アントニアの命令で餓死によって命を絶った。

関連項目[編集]