ラン・ラン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| ラン・ラン | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生 | 1982年6月14日(27歳) |
| 出身地 | |
| 職業 | ピアニスト |
| 担当楽器 | ピアノ |
| レーベル | ドイツ・グラモフォン |
| 公式サイト | [1] |
ラン・ラン(Lang Lang〔中国語 :郎朗〕, 1982年6月14日 - )は、中国遼寧省瀋陽出身のピアニスト。
目次 |
[編集] 略歴
5歳で瀋陽ピアノ・コンクールに優勝して最初のリサイタルを開く。北京の中央音楽学院に9歳で入学し、12歳で、ドイツで開かれた第4回エトリンゲン青少年ピアノ・コンクールで最優秀賞および技能賞を獲得。1995年、13歳のときに北京でショパンの練習曲の全曲演奏を行う。同年、仙台市で開催された第2回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールに出場してショパンの《ピアノ協奏曲 第2番》を演奏(彼の伝記によれば第2番だが、CDのライナーノーツにある彼のインタビューによれば第1番を演奏したらしい)、見事優勝し、その模様はNHKよりテレビ放映された。同コンクールの2位は、後にモスクワのチャイコフスキー国際コンクールで優勝した上原彩子 (ピアニスト)であった。14歳になると、江沢民国家主席も列席した、中国国立交響楽団の処女演奏会に出演。翌1997年に渡米し、フィラデルフィアのカーティス音楽院でゲイリー・グラフマンに師事した。この事から、ヨゼフ・ホフマンとホロヴィッツの孫弟子にあたる。
1999年、17歳のとき突破口が訪れる。ラヴィニア音楽祭のガラ・コンサートで、急病のアンドレ・ワッツの代理として、チャイコフスキーの《ピアノ協奏曲 第1番》を、クリストフ・エッシェンバッハ指揮するシカゴ交響楽団と共演。これがシカゴ・トリビューン紙によって、将来の嘱望される何年かに一人の逸材と評価されたのである。2001年、ユーリ・テミルカーノフとの共演によるカーネギー・ホールのデビュー演奏会でチケットは売り切れとなった。同年、フィラデルフィア管弦楽団と北京に演奏旅行を行い、BBCプロムスへのデビューは絶賛され、タイムズ紙上で「ロイヤル・アルバート・ホールのチケットは売り切れとなり、ランランは聴衆を席巻した」と報じられた。2003年にプロムスの初日に再出演し、レナード・スラットキンと共演した。
2002年夏に、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭におけるレナード・バーンスタイン賞の最初の受賞者となった。2004年に、サイモン・ラトルの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、2万3千人の聴衆を集め、この演奏風景は国際的にテレビ放映された。
ボストン交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団、デトロイト交響楽団、ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団、サンフランシスコ交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、パリ管弦楽団、香港フィルハーモニー管弦楽団、シドニー交響楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団など、世界の主要なオーケストラと共演を続けている。これまで共演してきた指揮者に、ダニエル・バレンボイム、シャルル・デュトワ、クリストフ・エッシェンバッハ、ヴァレリー・ゲルギエフ、マリス・ヤンソンス、ジェイムズ・レヴァイン、ロリン・マゼール、ズービン・メータ、サイモン・ラトル、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、ユーリ・テミルカーノフ、マイケル・ティルソン=トーマス、フランツ・ウェルザー=メストなど。
ラン・ランの自伝は中国全土でベストセラーを記録している。テラーク・レーベルから移籍し、現在はドイツ・グラモフォンの専属アーティストとなった。ユニセフ親善大使にも任命されている。
得意とするレパートリーは、チャイコフスキーやショパンのほかに、ラフマニノフがあり、生演奏ではアンコールに中国民謡を好んで弾いている。
近年は、ダニエル・バレンボイムに本格的に師事していて、アルトゥール・ルービンシュタインがバレンボイムに伝授したルバート奏法などを教わっている。
2008年8月8日、北京オリンピックの開会式において、中国の作曲家・葉小綱の協奏曲を演奏した。
2010年より、ベルリンフィルのレジデンスピアニストとしての出演が決定している。
2006年、香港行政府の「優秀人材入境計画」第1号として香港の市民権を獲得。[1]
[編集] 脚注
- ^ 中国OK!: 内陸から5年間に1.7万人の人材が香港へ 2009年2月13日 閲覧。
[編集] 関連事項
[編集] 外部リンク
- 公式ウェブサイト (英語)
- 招聘会社によるプロフィール

