ラモン・デッカー
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ラモン・デッカー(Ramon Dekker、男性、1969年9月4日 - )は、オランダ出身のキックボクサー。身長172cm、体重72kg。リングス・オランダ所属。
生ける伝説デッカーは、キックボクシングおよびムエタイで、8度も世界王者に輝いた。格闘王国オランダが生んだキックボクシング界の至宝と呼ばれ、ボクシングにおけるマイク・タイソンやバスケットボールにおけるアレン・アイバーソンやサッカーにおけるディエゴ・マラドーナのような爆発的なスタイルのカリスマな存在と評され、彼に憧れる選手は多い。
判定負けもKO負けを恐れないフルスイングの強い回転力の攻撃と鬼気迫る闘志で「地獄の風車」と呼ばれた。パワー溢れるファイトが生んだ脅威のKO率により、ムエタイの本場タイでは「ダイアモンド」とも称された。
ムエタイの最高最大権威である二大殿堂のルンピニー・スタジアム(陸軍系)とラジャダムナン・スタジアム(王室系)のタイトルには恵まれなかったが、本場タイではムエタイ500年の歴史を破り非タイ人初の二大殿堂のチャンピオン[1]となり、通算4人いる非タイ人の二大殿堂の歴代チャンピオンの中で最高の評価を受ける藤原敏男と並び称される評価を得るタイ国の国民的英雄。
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[編集] 来歴
- 1986年、16歳でコー・ヘマーズに入門(ヘマーズはオランダ・キックボクシング創成期の選手で、長い戦歴を誇るデッカーの唯一のトレーナー。後にデッカーの母親と結婚し、義理の父子となる)。デッカーとヘマーズは、2人で試行錯誤しながらトレーニング方法を作り上げることからスタートした。
- 入門から数か月後、KO勝利でプロデビュー。
- 1987年11月、年齢制限の特例を受け、17歳でタイトルマッチに挑戦し、オランダ王者となる。
- 1988年、2つの選手権でヨーロッパ王者となる。
- 1989年12月、オランダにてマンゴンダム・シットチャンを激戦の末に僅差判定で破り、IMTA世界ライト級王者になる。
- 1990年2月、オランダにてタイのルンピニー現役フェザー級1位(前王者)ナンポン・ノンキーパーフユットを判定で下し、IMF世界ライトウェルター級王座を獲得。再戦で敗れるも、以後、現役ルンピニージュニアライト級王者のチェアリー・ソー・ワニットを1RKO、ルンピニージュニアフェザー王者スーパーレック・ソンイーサンと互角の末、判定負け。ラジャダムナンジュニアライト級2位ソンバット・ソー・タニクンに判定勝ちするなど、ムエタイ一流選手と2勝2敗のその功績が認められ、同年11月にルンピニー・スタジアム・ライト級王座への挑戦が実現する(王者イッサラー・サックリーリンに判定負け)。外国人選手がムエタイ王座に挑むのが許されたのは、実に日本の藤原敏男以来の快挙である。この後、同国の将来有望な選手の称号である「ダイアモンド」と呼ばれる。
- 1992年、ルンピニー・スタジアムにて、現役ライト級王者のコーバーン・ルークチャオメーサイトーンを1RKOする。タイで年間優秀選手の特別賞に選ばれる。同国で最も有名な外国人と言われた。以後も日本を含む多くの国の大会で活躍を続ける。
- 1997年3月23日、オランダでライアン・シムソンと対戦し、2R終了時に左目負傷によりTKO負け。
- 2001年3月18日、オランダ「2H2H」で引退興行。マリノ・デフローリンを相手にKO勝利。華々しいエンディング・セレモニーに送られて引退。その後はゴールデン・グローリーで打撃コーチを務めながら、自ら総合格闘技の練習に取り組む。
- 2005年3月26日、総合格闘技大会のHERO'Sで現役復帰。須藤元気と対戦するも、ヒールホールドで破れる。
- 2005年7月20日、「K-1 WORLD MAX 2005 世界一決定トーナメント」のスーパーファイトに出場し、ドゥエイン・ラドウィックと対戦。1Rに左ストレートでダウンを奪い、3R判定3-0で勝利する。本人によれば、試合前のウォーミングアップで右腕を痛めたという。
[編集] 戦績
[編集] ムエタイ・キックボクシング
| キックボクシング 戦績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 128 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
| 79 勝 | 43 | 4 | 1 | |||
| 44 | ||||||
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
| × | ユーリ・メス | 3R終了 判定 | It's Showtime(K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAM) | 2006年5月13日 |
| ○ | ドゥエイン・ラドウィック | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜 【スーパーファイト】 |
2005年7月20日 |
| ○ | マリノ・デフローリン | 4R 0:18 TKO | 2H2H - Simply The Best【ムエタイルール】 | 2001年3月18日 |
| △ | 新田明臣 | 5R終了 判定0-1 | K-1 J・MAX | 2000年11月1日 |
| × | 小比類巻貴之 | 1R終了時 TKO(右脛負傷) | K-1 RISING 2000 | 2000年1月25日 |
| ○ | 緒形健一 | 4R 2:58 KO(フック連打) | シュートボクシング『GROUND ZERO TOKYO』 【WPKL世界ジュニアミドル級タイトルマッチ】 |
1998年11月14日 |
| × | 吉鷹弘 | 5R終了 判定0-3 | Shoot the Shooto XX【キックボクシングルール】 | 1998年4月26日 |
| × | ダニー・ビル | 5R終了 判定 | フランス | 1997年11月22日 |
| ○ | ハッサン・カスリオイ | 3R KO | Night of Dynamite | 1997年10月11日 |
| × | ライアン・シムソン | 2R終了時 TKO(左目負傷) | オランダ | 1997年3月23日 |
| ○ | 港太郎 | 不明 | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 | 1995年6月2日 |
| × | サックモンコン・シットチューチョーク | 判定 | ルンピニー・スタジアム | 1991年11月26日 |
[編集] 総合格闘技
| 総合格闘技 戦績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
| 0 勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 1 敗 | 0 | 1 | 0 | 0 | ||
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
| × | 須藤元気 | 1R 2:54 ヒールホールド | HERO'S | 2005年3月26日 |
[編集] 獲得タイトル
- オランダフェザー級王座
- MTBNヨーロッパフェザー級王座
- NKBBヨーロッパスーパーフェザー級王座
- IMTA世界ライト級王座
- IMTF世界スーパーライト級王座
- IMF世界ライトウェルター級王座
- WPKL世界ウェルター級王座
- WPKL世界スーパーウェルター級王座
- WPKF世界ミドル級王座
- WPKL世界ミドル級王座
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
- ^ 非タイ人のチャンピオンは藤原敏男(ラジャダムナン・ライト級 約61.2kg以下)、ムラッド・サリ(ルンピニー・ジュニアウェルター級 約63.5kg以下)、小笠原仁(ラジャダムナン・ジュニアミドル級 約69.9kg以下)、武田幸三(ラジャダムナン・ウェルター級 約66.7kg以下)の通算4人


