ラファエル・マルケス (ボクサー)
| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | ラファエル・マルケス・メンデス |
| 通称 | ラフィ |
| 階級 | スーパーバンタム級 |
| 身長 | 163cm |
| リーチ | 183cm |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1975年3月25日(38歳) |
| 出身地 | メキシコシティ |
| スタイル | オーソドックス |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 49 |
| 勝ち | 41 |
| KO勝ち | 37 |
| 敗け | 8 |
ラファエル・マルケス(Rafael Márquez Mendez、男性、1975年3月25日 - )は、メキシコのプロボクサー。メキシコシティ出身。元WBC世界スーパーバンタム級チャンピオンであり、元IBFおよびIBO世界バンタム級チャンピオン。リングマガジンのパウンド・フォー・パウンドランキングに名を連ねている。
ボクシング一家に育ち、彼の兄のファン・マヌエル・マルケスは現WBO世界スーパーライト級スーパー王者で4階級制覇王者である。兄ファン・マヌエルと共に史上初の兄弟同時2階級制覇を成し遂げた。兄ファン・マヌエルが回転の早い連打で相手を圧倒する攻防兼備のファイタータイプのボクサーであるのに対して、ラファエルは一撃必殺のパンチ力とスピードを兼ね備え、カウンターを決めることも上手い攻撃的で天才肌のハードパンチャーである。また、兄弟揃って右アッパー・ストレートの名手である。兄と同様、チームには世界戴冠以前より日本人(ロマンサジャパンボクシングジム 中島利光代表)が名を連ねる。2005年11月来日。
目次 |
来歴 [編集]
1995年3月8日にプロデビューしたが、元世界王者のビクトル・ラバナレス(メキシコ)にKO負け。しかし、その後数多くの試合をこなしていき、2000年11月12日には同国のヘナロ・ガルシアと対戦し、2回KO負けを喫するが、翌月の12月16日に後にWBA世界フライ級王者となるアキレス・グスマン(ベネズエラ)とWBAラテンアメリカバンタム級王座決定戦を行い、7回TKO勝ちで初タイトルを獲得すると、2001年7月6日にヘラルド・エスピノサ(メキシコ)とWBA中米バンタム級王座決定戦を行い、4回TKO勝利で同王座の獲得に成功、2002年2月23日には前回対戦して僅差で勝利した元2階級王者のマーク・ジョンソン(アメリカ)とリマッチを行い8回TKOで勝利し、空位のUSBA全米バンタム級タイトルとIBF世界バンタム級のタイトル指名挑戦権を獲得した。その後、1戦ノンタイトル戦を挟み、2003年2月15日にティム・オースティン(アメリカ)に挑戦し、これに勝利してIBF世界バンタム級王者になる。その後、現在まで3年以上7度の長期に渡ってタイトルを守り続け、2005年11月5日にはIBOのタイトルも手中に収めた。
2007年3月3日には自身の持つIBFバンタム級タイトルを返上し、階級をスーパーバンタム級に上げて同じくメキシコのイスラエル・バスケスの持つWBC・リングマガジン世界スーパーバンタム級タイトルに挑戦し、試合開始早々から壮絶な殴り合いを繰り広げ、ダウンを奪われたものの、両者共に顔面が腫れ上がってボロボロになり、ボクシング史に残る激闘となった。7回にバスケスが鼻を怪我と額の骨折で試合続行不可能となってタイトル獲得と2階級制覇に成功した。
2007年8月4日に行われた再戦では、初対戦時をさらに上回る壮絶な大激闘を繰り広げた末に6回TKO負けで王座陥落。マルケス側は「レフェリーストップが早かった。まだ戦えた」と主張した[1]。この試合は、2007年のリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。
2008年3月1日、イスラエル・バスケスとラバーマッチで対戦し、またしても初回から壮絶な試合となり、両者共にダウンを喫するなど3度目の対戦もまた激闘となった。11ラウンド終了時点でポイントではマルケスがわずかにリードしていたが、最終回にダウンを奪い返され、1-2の僅差判定負け、王座奪回に失敗した。この試合は、2年連続でリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。この試合を最後にイグナシオ・ベリスタインとのコンビを解消し、現在までコンビを組むダニエル・サラゴサを新たなトレーナーに招聘した。
バスケスとの3連戦によって双方共に多大なダメージを負ったため、WBCは両者に対して長期休養勧告を出した。[要出典]2009年5月23日、母国メキシコ・モンテレイのモンテレー・アリーナにて休養明けの復帰戦でホセ・フランシスコ・メンドサ(コロンビア)に3回KO勝ち[2]。
2010年5月22日、4度目の対戦となったイスラエル・バスケスとWBCシルバー・スーパーバンタム級王座決定戦で対戦し、3回KO勝ちを収めイスラエルとの対戦成績は2勝2敗となった[3]。バスケスはこの試合が現役最後の試合になった。
2010年11月6日、3階級制覇を狙ってファン・マヌエル・ロペス(プエルトリコ)の持つWBO世界フェザー級王座に挑戦。約2年半ぶりの世界戦で兄ファン・マヌエル・マルケスと同じ3階級制覇に期待されたが、序盤から互角に打ち合っていたものの8R終了時に右肩の異常を訴えて棄権したため、王座獲得に失敗した[4]。
2011年7月16日、西岡利晃挑戦のチューンアップ戦として同国人のエドゥアルド・ベセリルに6回TKO勝利で西岡戦に備えた[5]。
2011年10月1日、米ラスベガスでWBC世界スーパーバンタム級チャンピオン・西岡利晃に挑み3-0の判定で敗れ王座獲得に失敗した[6]。
2012年5月5日元IBF世界フェザー級エリック・エイケン(アメリカ)と再起戦(フェザー級契約10回戦)を行い、初回KO勝ちを収めた。
同年10月27日、メキシコのメキシコシティで元スーパーフライ級2団体統一世界王者クリスチャン・ミハレス(メキシコ)と戦い、序盤はミハレスを攻めたてるが中盤ダメージングブローを叩き込れ9回1分58秒TKO負け[7]。
戦績 [編集]
- アマチュアボクシング:21戦21勝無敗
- プロボクシング:49戦41勝(37KO)8敗
人物・エピソード [編集]
- 兄ファン・マヌエルと同様に人気と実力を兼ね備えたボクサーでありながら、兄弟揃って不遇な扱いを受けているため、それに見合ったファイトマネーを稼げていない(詳細はファン・マヌエル・マルケスの項を参照)。
- 多くのマスコミから「そのような不遇の原因はマルケス兄弟のマネージャーを務めているナチョ・ベリスタインにある」と何度も批判されているが、マルケス兄弟は「ベリスタインは私達のファミリーの一人だ」と言ってはばからず、ベリスタインとの契約も続けており、彼らの絆の深さと人柄の良さが現れている。
- 兄弟の試合を見ることに関して、兄ファン・マヌエルは「大事な弟の身体が打たれていて怪我だってするかもしれないと考えたら、怖くて心臓に悪いから出来るだけ見たくない」と答えているのに対して、弟のラファエルは「兄の試合はエキサイティングだから見ていて楽しいし、いつでも勝ってほしいと願っている」と答えている。
獲得タイトル [編集]
- WBAラテンアメリカバンタム級王座(防衛0=返上)
- WBA中米バンタム級王座(防衛0=返上)
- USBA全米バンタム級王座(防衛0=返上)
- IBF世界バンタム級王座(防衛7=返上)
- IBO世界バンタム級王座(防衛1=返上)
- WBC世界スーパーバンタム級王座(防衛0)
- WBC世界スーパーバンタム級シルバー王座(防衛0=返上)
- リングマガジン世界スーパーバンタム級王座
脚注 [編集]
- ^ バスケス、TKOでベルト奪回 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2007年8月9日
- ^ マルケス弟KO勝ち。次は西岡? ボクシングニュース「Box-on!」 2009年5月25日
- ^ マルケス痛烈リベンジ バスケスを3回TKO ボクシングニュース「Box-on!」 2010年5月23日
- ^ ロペス、マルケスをストップ WBOフェザー級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年11月7日
- ^ マルケス兄電撃KO ロマゴンも圧勝 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年7月18日
- ^ 西岡、本場ラスベガスで防衛! WBC・S・バンタム級 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年10月3日
- ^ ミハレス、マルケス弟をストップ メキシコの元王者対決 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年10月28日
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
| 前王者 ティム・オースティン |
第9代IBF世界バンタム級王者 2003年2月15日 - 2007年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ルイス・アルベルト・ペレス |
| 前王者 イスラエル・バスケス |
第23代WBC世界スーパーバンタム級王者 2007年3月3日 - 2007年8月4日 |
次王者 イスラエル・バスケス |
| 前王者 イスラエル・バスケス |
リングマガジン世界スーパーバンタム級王者 2007年3月3日 - 2007年8月4日 |
次王者 イスラエル・バスケス |
