ラシュト

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座標: 北緯37度18分 東経49度38分 / 北緯37.30度 東経49.63度 / 37.30; 49.63

ラシュト
رشت
ラシュトの位置
ラシュト
ラシュト(イラン)
イラン
ギーラーン
緯度
経度
北緯37度18分 東経49度38分 / 北緯37.30度 東経49.63度 / 37.30; 49.63
標高 5 m
人口 642,195 人 (2006年)
- 都市
出典 : Gazetteer.deIndex Mundi

ラシュトペルシア語: رشت‎; Rasht)はイラン北西部の都市でギーラーン州の州都。バンダレ・アンザリー経由のカフカズロシアとイラン間の交易における中心地の1つであり、観光の中心ともなっている。ラシュトの人口は2005年の統計で560,123人である[1]


言語[編集]

ギーラキー語の話者300万人以上のほとんどがギーラーン州に住む。ギーラキーは、インド・ヨーロッパ語イラン語派のうち北西イラン語に属する。北西イラン語はギーラキーおよびギーラキーと密接な関係をもつマーザンダラーン語から構成され、ギーラキーはさらにビエ・パスとビエ・ピーシュの2方言に分かれる。ビエ・ピーシュ方言はラーヒージャーンラングルードなどギーラーン東部で話されるのに対し、ラシュトやフーマーンなどセフィード川より西で話されるのがビエ・パス方言である。ギーラキーは口頭言語であって、イランにおける公用語とはなっていない。

ラシュトの名は、おそらくロスタムに由来するものである。ロスタムは現在のマーザンダラーン州域で「白い悪魔」を掃討したとされる。

人びとと文化[編集]

ギーラキー語ペルシア語タリーシュ語を話す人びとがいる。

高等教育機関[編集]

歴史[編集]

ラシュトの古いモスク (1886年)

ラシュトの文献史料上の初見は682年であるが、おそらく街の歴史はそれより古く、サーサーン朝の時代にはこの地に都市があった。近代にはロシア帝国のピョートル大帝やイギリス軍が進駐した街である。イラン立憲革命ではラシュト蜂起を通じて大きな役割を果たした。

年表[編集]

682年
文献上のラシュトの初見。
1669年
カザークの司令官スチェパン・ラージンによる略奪。
1722年 - 1734年
第1次ロシア・イラン戦争でのピョートル大帝による占領。
1901年
大規模な疫病による荒廃
1917年 - 1920年
ラシュトおよび港市バンダレ・アンザリーにおける英露両軍の戦闘。英軍は撤退し、ロシア軍が地域を占領。1920年ボルシェヴィキのロシア人がバーザールに放火し大火。多くの市民が避難。
1937年
ロシア人からの「通行税」徴収を目的とした暴動発生。鎮圧。
1974年
ラシュト最初の大学が設立。

ラシュト出身の著名人[編集]

近郊[編集]

  • チョマールサーラー
  • ゴルサール
  • キャルファーバード
  • ハーレマム
  • ラカーン・シャフル
  • マンザリーイェ
  • ノグレダシュト
  • オスタードサーラー
  • ピールサーラー
  • ラシュティヤーン
  • サガーリスアザーン
  • パールク・シャフル
  • タフティー

外部リンク[編集]