ライン (競輪)

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レース前の選手紹介(脚見せ・顔見せ・地乗り)

ラインは、競輪の戦法の1つ。2〜4人(基本は3人)の選手が一列に並んで連携して戦う戦法。

一本の線(Line)のように見えることから、名付けられた。

概要[編集]

競輪では、空気抵抗によるエネルギーの消耗を抑えるためやスリップストリームによる加速などの理由から、血縁、同門(師匠が同じ、あるいは師弟など)、同郷、同地区(近隣都道府県。大体はこれで組む)、養成所(または競輪学校)同期生同士で「チーム」を組んで縦列を組み、上位入線を狙う。

オリンピックなどでの自転車競技で行われている「ケイリン」とは異なり[1]、最大9車立ての競輪競走においては、ほぼ全ての番組編成が1〜3着までが決勝に進める準決勝を3レース組み込んだもの[2]であったため、(3人以上の)ラインが発生したとも考えられる。3人・2人・2人・2人などの「4分戦」は、俗に「細切れ戦」とも呼ばれる[3]

競輪が始まってから暫くの間はラインという概念はなく、逆に今とは異なり、選手間で話し合って作戦を立てる行為は八百長と誤解される恐れがあったため禁止されていた。そのため、当時は強い先行選手の後ろに力のある追い込み選手がつく、というケースが多かった。しかし、1983年KPK制度導入や、1988年に累積事故点の罰則があっせん停止を含むものになるなど強化されるといった経緯によって、次第にラインを組んだり作戦を立てることが容認されるようになり、現在のような地区別のライン形成が定着したとされている。

ラインを組む目的としては、最高時速70キロにも上るスピードを出すレース中では、若い頃より体力・パワーの衰えたベテラン選手は特に風の抵抗(風圧)をまともに受けるとスタミナを早く消耗して若手選手より圧倒的に不利となるため、体力・パワーがある先行選手(通常は若手選手)に前を走ってもらうことで「風除け」になってもらい最後まで自身の体力を温存、その代わりに後方から捲り・追込する選手を妨害する役目を負うという、「ギブ・アンド・テイク」が大きい。

ただ、KEIRINグランプリなど単発のレースや決勝戦など勝ち上がりのレースによっては同地区に選手がおらず地区同士でラインが組めないケースもよくあり、その場合は大まかに東日本・西日本単位で「即席ライン」を組むか、単独で戦うか、他のラインの最後方に追随するか二番手に割り込む(俗に「単騎」とも呼ばれる。ちなみに、他のラインの二番手に割り込むことを「競り(かける)」と言う)。稀なケースでは、同じレースでラインが組めなかった養成所(かつての名称は競輪学校)同期生同士が組む場合や、地区が異なるナショナルチームの練習仲間がラインを組む場合もある[4]

先行選手 - 追込選手 - 追込選手 の並びが基本だが、特に勝ち上がりレースでは先行選手が2人並んで「2段掛け」するケースや、逆にビッグレースの一次予選などで上位先行選手 - 追込選手 - 下位先行選手という並び、ラインを組んだものの先行選手がいない場合に止むを得ず追込選手の誰かが先頭を走る例も、時折見受けられる。

競輪をよく知らない人の中には、「後ろの方が風除けがあって圧倒的に有利だ」と意見する人がいるが、追込選手はマークする先行選手がレースで主導権を握ってくれないと手の打ちようがないし、逆に先行選手は風圧をもろに受けるものの自分自身でレースを組み立てることが可能であり落車に巻き込まれる恐れも少ないことから、多くの競輪選手はできれば先行で戦いたい、と考える者がほとんどである。実際に全盛期より勢いの衰えたベテラン選手の中にも先行主体で戦っている人もいるように(マーク技術が苦手だから、落車に巻き込まれるリスクを減らしたいからと理由付ける選手もいる)、どちらかと言うと、先行が有利、という見方がほとんどである。

強力な先行若手選手を梃子に勝ちを浚う晩年のベテラン選手は「コジキ」などと揶揄されることもある。一方で、若い頃に先行して貢献して地区を盛り上げてきた先輩を称え、次の世代の若手がその先輩を引っ張って先行する、という慣わし・考え方も尊重されて残っている[5]。逆に、2022年の競輪祭決勝戦では、ベテランの新田祐大が北日本ラインの先頭に立ち、新田より後輩で同じく先行選手である新山響平が新田の番手となり、実際のレースでも新田が引っ張って新山の初GIタイトル獲得をアシストしたような例も見られた。なお、選手の事前コメントでも、かつては先行選手によっては「今日はお世話になった●●選手のために目一杯先行します!」などとコメントするようなケースも見受けられたが、現在ではしないよう指導されていることもあり、そのようなコメントは見かけなくなった(ちなみに、先述の2022年の競輪祭決勝戦では、記者からなぜ新田が先行するのかと尋ねられた際、新田は「僕が(北日本ラインで)一番強いと思ったから」とだけコメントしている)。

最終レース終了後、翌日のレース番組(振り分け)発表がなされると、各選手はその場でコメント発表(自力・自在選手は戦法を、追込選手はどの自力選手の何番手に付くかなど)をする慣わしとなっている(専門サイトに「並び」を載せたり、新聞記者が予想を書く必要があるため)[6][7]。各レースの前(基本的に前レースの終了直後)に行われる選手紹介(脚見せ/顔見せ/地乗り)では、各選手が実際にラインを組んで(あるいは単騎で)周回することになっており、その段階でもラインの並びを確認することができるが、結果として前日コメントと異なるラインになる場合もある。

なお、単発の企画レースとして行われているKEIRIN EVOLUTION(現在は休止中)や250競走「PIST6」、女子選手によるガールズケイリンでは自転車競技(トラックレース)のケイリンに準拠したルールとなっているため、あからさまにラインを組むことや後方から追い込んできた選手を妨害(ブロック)することは反則行為[8]として失格となることがある(但し、作戦として個人的にマークする選手を決めてその後ろに付くことについては問題ない)。

遅くとも2020年には7車立てのレースも増えてスピード化が加速し、3番手の位置を敬遠するなど、ライン戦の状況に変化が見られて来ている[9]

地区[編集]

一世を風靡し、ファンなどから特別な名称がつけられたラインとして有名なのは、1980年代関東[10]南関東[11]の選手で組まれた「フラワーライン」がある。当時無敵の強さを誇った中野浩一井上茂徳らの九州勢に対抗するため、東京の山口国男(ホームバンクは千葉県の松戸競輪場)の発案で、国男の弟である山口健治のほか尾崎雅彦清嶋彰一、千葉の吉井秀仁滝澤正光らが参加して共闘団結を組んだものである。

平成に入ってからでは、1996年アトランタオリンピック自転車競技に出場した神山雄一郎十文字貴信の「アトランタライン」が知られる。当時、競輪界最強のレーサーだった神山雄一郎が競輪の戦法として最も有利な「番手捲り」を十文字貴信の後ろから放ち、ビッグレースを総なめにしたものである。当時の十文字貴信のダッシュ力は凄まじく[12]、どんなに他の選手ががんばっても、先行して残り半周になるまでは主導権を獲ることができたのに加え、捲ってきた選手に合わせて神山が発進すれば他の選手は手の打ちようがなかった。同年末に行われたKEIRINグランプリでも、レース前はこの「アトランタライン」が圧倒的な人気を集めた。ちなみに、全盛時の「アトランタライン」を破ったのは吉岡稔真程度であり、2人を破って高松宮杯を優勝したことがあった。

平成の後期、2000年代から2010年代にかけては、武田豊樹平原康多の通称「関東ゴールデンコンビ」が誕生。両者ともに強力な自力を持ち合わせて臨機応変で前後の並びを変えるラインで、お互いが複数のGIタイトルを獲得した。

選手数が最も少ない四国地区の選手が、同じく選手数が少ない中国地区の選手と組む「中四国ライン」は、日常的に見られている。また、共に選手層はそれなりに厚いが過去の経緯から中部地区・近畿地区による「中近ライン」も時折見られるが、普段は味方ではないため慎重にセンシティブな対応をとる選手もいる[13]

なお、KEIRIN EVOLUTIONと同じく単発の企画レースとして行われていた「S級ブロックセブン」(記念競輪(GIII)最終日の6レースないし9レースで実施。2020年6月以降は新型コロナウイルス感染症対策の影響で休止)では、北日本、関東、南関東、中部、近畿、中国・四国、九州をそれぞれ1ブロックとし、各ブロックから選抜された1名ずつの7名が出走する。ルールは通常の競輪(オリジナル)に則って行われるためラインが組まれるが、基本的に「北日本、関東、南関東」(3名)の東日本ライン、「中部、近畿」(2名)の中近ライン、「中国・四国、九州」(2名)の西日本ライン、の3つのラインに分かれる傾向が見られている。

国際競輪(短期登録選手制度)による外国人選手は静岡・伊豆にある競輪学校を練習拠点にしており、それゆえ選手控室の居場所も南関東勢の隣に位置される傾向にある。ただし、かつては外国人選手と南関東の追込選手のライン連係も多かったが、番組マンの配慮に反してダッシュに離れてしまう恐れ[14]などを考え、2010年代後半ではそうでない場合も出てきている[15]

脚注[編集]

  1. ^ 2016.08.12 第6回 山田裕仁の競輪帝王学
  2. ^ 例外的に、2017年第68回)以降の高松宮記念杯競輪では準決勝が4レース行われている。過去には、高松宮記念杯競輪では2001年(第52回)まで準決勝は2レースであったほか、2002年日本選手権競輪(第55回)や2010年オールスター競輪第53回)でも準決勝を4レース行った。
  3. ^ ラインとレース KEIRINひろば 競輪初心者講座
  4. ^ 『第59回朝日新聞社杯競輪祭(GI)レポート』 前検日編
  5. ^ 京王閣 検車場レポート 2008年8月
  6. ^ 月刊競輪WEB BOSS後閑信一の競輪道 KEIRIN.JP 2018年5月18日
  7. ^ 月刊競輪WEB BOSS後閑信一の競輪道 KEIRIN.JP 2018年8月17日
  8. ^ 小林優香 無敗の新女王 ガールズケイリンデビューから20連勝”. 西日本新聞社 (2014年8月26日). 2018年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月24日閲覧。
  9. ^ 【競輪ライン特集】進化? 退化? 〜時代とともに移ろう“ラインの変化” - netkeirin、2021年4月27日
  10. ^ 競輪における地区分けでは、東京・埼玉・茨城・栃木・群馬・新潟の1都5県。
  11. ^ 競輪における地区分けでは、千葉・神奈川・静岡の3県。
  12. ^ 十文字貴信は、アトランタオリンピックで銅メダルを獲得
  13. ^ 【6日前橋12R】“脇本の恩返し”で中川誠一郎から勝負! - サンスポZBAT!競馬、2018年10月6日
  14. ^ グレーツァー短期登録選手13連勝タイ記録/松山 - 日刊スポーツ、2018年9月21日
  15. ^ ブフリら外国人勢はマーク陣に超不人気/名古屋 - 日刊スポーツ、2016年10月25日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]