ライマン・レムニッツァー
| ライマン・レムニッツァー Lyman Louis Lemnitzer |
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| 1899年8月29日 - 1988年11月12日(満89歳没) | |
ライマン・レムニッツァー大将
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| 生誕地 | ペンシルベニア州 ホーンスデール |
| 死没地 | ワシントンD.C. |
| 所属組織 | |
| 軍歴 | 1920 - 1969 |
| 最終階級 |
陸軍大将 |
ライマン・ルイス・レムニッツァー(Lyman Louis Lemnitzer, 1899年8月29日 - 1988年11月12日)は、アメリカ陸軍の軍人。最終階級は、大将。
[編集] 経歴
レムニッツァーは1899年8月29日にペンシルベニア州ホーンスデールで生まれた。彼は1920年にウェストポイントを卒業し、沿岸砲兵部隊を志願し配属された。レムニッツァーはフィリピンで軍務に就くが、すぐに参謀部に配属されその軍歴が始まった。
レムニッツァーは1942年6月に准将に昇進し、アイゼンハワー将軍のスタッフとして配属された。彼は北アフリカおよびシシリー島侵攻作戦を計画支援し、1944年11月には少将に昇進した。レムニッツァーは1943年のイタリア降伏および1945年のドイツ降伏調印のために派遣された幹部職員のうちの一人であった。彼はその後、一部のナチス党員が戦争犯罪のための調査を逃れることを可能にしたとして訴えられた。
第二次世界大戦後、レムニッツァーは統合参謀本部の戦略調査委員会に配属され、その後国立陸軍大学の副学長に任命された。1950年には51歳でパラシュート降下訓練を受け、第11空挺師団の指揮官に任命された。彼は1951年11月に朝鮮半島での第7歩兵師団の指揮を任命され、1952年8月に中将に昇進した。
レムニッツァーは大将に昇進し、極東におけるアメリカ陸軍第8軍の指揮官に1955年3月就任する。彼は1959年7月に陸軍参謀総長に指名され、1960年9月に統合参謀本部議長として任命された。統合参謀本部議長としてレムニッツァーはベトナム戦争におけるアメリカの初期の関与やピッグス湾事件を切り抜けた。さらに彼は、エドウィン・ウォーカー少将(極右の人種差別主義者であり、自らの信条を軍に於いて実施しようと試み軍から解任された。)の活動に関して上院外務委員会での証言を要求された。レムニッツァーは1962年にノースウッズ作戦(隠密工作によりカストロ政権の評判を低下させ、キューバに対する軍事行動への支持を形成するよう提案された計画だが、実施は拒絶された。)の一部を承認した。
レムニッツァーは1962年11月にアメリカ欧州軍総司令官に任命され、1963年1月にNATOヨーロッパ連合軍最高司令官に任命された。この期間に彼は1963年 - 64年のキプロス危機や、1966年のフランスからのNATO軍撤退など困難な事態をリードするよう要求された。
レムニッツァーは1969年7月に退役し、1975年にはフォード大統領によってCIAが違法行為を行ったか調査する、アメリカ国内CIA活動委員会(ロックフェラー委員会)の委員に任命された。
レムニッツァーは1988年11月12日に死去し、アーリントン国立墓地に埋葬された。彼の妻キャサリン・トライオン・レムニッツァー(1901 - 1994)は彼と一緒の墓に埋葬された。
[編集] 関連項目
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