ライオット

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ライオット
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
ジャンル ハードロック
ヘヴィメタル
スピードメタル
パワーメタル
活動期間 1975年 - 現在
メンバー
トッド・マイケル・ホール(ヴォーカル)
マイク・フリンツ(ギター)
ニック・リー(ギター)
ドン・ヴァン・スタヴァン(ベース)
フランク・ギルクライスト(ドラム)

ライオット(RIOT)は1975年に結成されたアメリカ合衆国ハードロック/ヘヴィメタルバンドである。

来歴[編集]

活動期間が非常に長く、極めてメンバー・チェンジの激しいバンドであること、またメンバー構成(特にヴォーカリスト)によって音楽性も少しずつ異なるため、ヴォーカリストの在籍期間ごとに区切って記載する。各パートごとのおおよその在籍期間は#メンバーを参照。

結成~ガイ・スペランザ時代(1975~1981)[編集]

1975年ニューヨークブルックリンギタリストのマーク・リアリを中心に結成された。当初はキーボードが入っていたが、後にギター二人の編成へと変化する。

1977年プロデューサー、スティーヴ・ローブ(後にこのバンドのマネージメントも手掛けることになる人物)が主宰していた「Fire Sign」なる個人レーベルから1stアルバム『ROCK CITY』をリリース。このアルバムは翌1978年日本でも『怒りの廃墟』という邦題でリリースされ、特に現在に至るまで彼らの代名詞的と目される楽曲「Warrior」は「幻の叫び」という邦題でシングル・カットされ、更にアイドル歌手の五十嵐夕紀によって「バイ・バイ・ボーイ」なるタイトルでカヴァーもされた[1]。リアリにとっても「当時日本で人気を博したことは予想外だった」との事で、その後も日本とは何かと関係が深く、現在に至るまで日本は彼らの主要なマーケットの1つでもある(この1stアルバムには「Tokyo Rose」なる楽曲もある)。

1979年キャピトル・レコードからリリースされた2ndアルバム及びそのアルバムに収録されているインストゥルメンタル・チューンのタイトル『NARITA』は日本の成田国際空港にまつわる、いわゆる「成田闘争」に由来している。この曲も、「Warrior」と並び彼らの代表曲の1つであり、また数あるHM/HRのインスト・チューンの中でも特に知名度が高い楽曲の1つでもある。

この頃の楽曲は、コード・ワークによるギターリフ中心のアメリカン・ハードロックがメインではあるが、前述の「Warrior」「Narita」をはじめ、後にファンから「ライオット節」と呼ばれることになる、ツイン・リードギターによって奏でられる、独特の哀愁を帯びた叙情的なメロディが既に見られる。また、後々まで良くも悪くもこのバンドのトレードマークとなる、頭部のみアザラシでそれ以外が人間という謎のキャラクター、「ジョニー」が1stアルバムからずっとアルバム・ジャケットに登場している(数枚の例外あり)。『NARITA』のアートワークはヴォーカリストガイ・スペランザが足を広げてかがみ、口をとがらせている写真に酷似しているが、ジョニーのモデルはバンドのローディであったMike"Mighty" Tiorであり、彼は『ROCK CITY』というファンサイトを運営していたこともある。Tiorとジョニーについては、伊藤政則が『ROCK CITY』再発CDのライナー・ノーツに「笑いがこぼれるほどそっくりだった」と記述している。

1980年、「Judas Priest」や「Rainbow」などのバンドと共に、第1回モンスターズ・オブ・ロックへの出演を果たした。

1981年エレクトラ・レコードに移籍して3rdアルバム『FIRE DOWN UNDER』をリリース。同アルバムはBillboard 200で99位を記録し、母国アメリカにおいて唯一のトップ100入りを果たした[2]。しかし、スペランザが「ツアーに疲れた」との理由で脱退。後任には、地声を活かした個性的なハイ・トーン・ヴォーカルを得意とするスペランザとはタイプが異なり、中音域のブルージーな歌唱を得意とするレット・フォリスターが加入した。この時点で、既にリアリ以外のオリジナル・メンバーは1人もいなくなってしまった。

レット・フォリスター時代(1981~1984)[編集]

フォリスターを迎えて製作された4thアルバム『RESTLESS BREED』ではフォリスターの歌唱スタイルに合わせたのか、ブルーズ色の強い楽曲が大半を占め、叙情的なメロディは後退した。この音楽性の急変故か、このアルバムは前作ほどの商業的成功を収めることはできず[3]、契約消化のためにミニ・ライヴアルバム『RIOT LIVE』をリリースした後、「Elektra」との契約は打ち切られ、次作『BORN IN AMERICA』のリリースはカナダインディーズ・レーベルQuality Records」からとなった。本作はフォリスター時代の作品であるが故か、前作同様評価も注目度も低い。[4]だが、特にリアリ作の楽曲は本来の叙情的なメロディを取り戻しており、フォリスターの声質が上手く「ライオット節」に合致し、一部ファンはこの時代が最高とまでいう人もいる。しかしながら、これ以降活動は停滞し、遂にバンドは解散してしまった。

解散~復活前夜(1984~1988)[編集]

この解散時期は、後にマーク・リアリがBurrn!インタビューで語ったところによると、RIOT名義で活動を続ける限り、マネージメントとの理不尽な契約に縛られてしまうため、それを回避するための偽装解散であったという。この時期、リアリはテキサスに渡り、地元のバンド・S.A.SLAYER(スレイヤーとは無関係)のメンバーである、スティーヴ・クーパー(ボーカル)、ドン・ヴァン・スタヴァン(ベース)、デイヴ・マックライン(ドラム)と共にNARITAという名義で活動した。当時の音源として「The Feeling Is Gone」「Liar」「Thundersteel」の3曲が収録されたラジオ局向けのデモ・テープが存在する。

こうした活動を続けていたリアリの元に、1986年、『FIRE DOWN UNDER』以降のドラマー、サンディ・スレイヴィンから再結成の話が持ち掛けられ、リアリはS.A.SLAYER~NARITAのベーシスト、ドン・ヴァン・スタヴァンを伴って、スレイヴィンのいるLAに向かう。こうして、リアリ、スレイヴィン、スタヴァンに、ボーカルにハリー・コンクリンを加えて「RIOT」名義での再結成が実現し、ツアーを行った。この再結成ツアーには後にレット・フォリスターが合流した。このツアーでは、新曲として「Sign Of The Crimson Storm」が演奏されている。

トニー・ムーア時代(1988~1993)[編集]

こうして再結成を果たしたものの、リアリとの音楽的方向性の違いからスレイヴィンが脱退、フォリスターら他のメンバーもバンドを去り、リアリ、スタヴァンの2人だけとなってしまったが、線は細いがメタリックなハイ・トーン・ヴォーカルが特徴のトニー・ムーアが加入、ライオン等の活動で知られるドラマー、マーク・エドワーズを迎えて再結成アルバムのレコーディングが開始された。ドラマーには結局、エドワーズに代わりJUGGERNAUTなるプログレ/スラッシュメタルバンドでプレイしており、後にハルフォードセバスチャン・バック等の活動でも知られることになるボビー・ジャーゾンベクが加入し、リアリ、スタヴァン、ムーア、ジャーゾンベクというメンバーで1988年、再結成第一弾アルバム『THUNDERSTEEL』がリリースされた。

本作リリース当時はスラッシュメタルやパワーメタルなどの攻撃性と疾走感を前面に押し出したヘヴィメタルが人気を博しており、その影響からか、本作はこれ以前と比べて哀愁のメロディは保ちつつ、スピード感、攻撃性は全く異なるサウンドとなった。その衝撃的な内容に、それまでのファンは変化に驚きつつ、そのクオリティにも驚いた。新たにスピードメタルを求めていたファンも獲得し、『Burrn!』誌やFM番組『POWER ROCK TODAY』などの人気投票で軒並み上位を獲得するなど、日本のメタルファンの中で大きな地位を築く事になる。『THUNDERSTEEL』の裏ジャケットには、アザラシがスーパーマンのような格好で登場しており"Johnny"と名づけられている(但し海外盤のみで日本盤CDにはいない)。1988年には、ムーア、リアリ、スタヴァン、ジャーゾンベクの4人編成で全米ツアーなどを行った。

1989年には『THE PRIVILEGE OF POWER』をレコーディングし、その後に2人目のギタリストとしてマイク・フリンツが加入した。このことに関しリアリは「昔の曲を演奏するにはもう一人ギターが必要だった」と来日時のインタビューで語っている。1989年12月、この5人編成で初来日公演が実現し、当時未発表であった新しいアルバムから「Metal Soldiers」と「Storming The Gates Of Hell」を演奏した。来日後の1990年『THE PRIVILEGE OF POWER』がリリースされた。このアルバムは、ジョー・リン・ターナータワー・オブ・パワーなど多彩なゲストが参加していたが、大胆なホーン・セクションの導入や、曲間に挿入された、長いものだと1~2分以上にも渡るSE等実験的な要素が多く、当時物議を醸した。

同年6月、早くも2度目の来日公演が実現するが、この来日を前にスタヴァンが脱退、後任にはジャーゾンベクと共にプログレメタル・バンドSPASTIC INKのメンバーでもある、ピート・ペレスが加入。

マイク・ディメオ時代(1993~2008)[編集]

1991年キーボード・プレイヤー兼バック・ヴォーカルとしてマイク・ディメオが加入、バンドは一時的に6人編成となるが、1992年に今度はムーアが脱退してしまい、急遽ディメオをリード・ヴォーカルに転向させて、1993年、再結成後3枚目となる『NIGHTBREAKER』をリリース。スタジオ・アルバムではバンド史上初めて、アザラシがジャケットに登場しなかった(リンク先のジャケット写真はドイツ盤)[5]。これ以降の音楽性は、基本的には『THUNDERSTEEL』の延長線上のメロディック・パワーメタルであるが、ムーアとは全くスタイルが違い、中音域寄りでややハスキー、かつ湿った声質のディメオのヴォーカルのため、またリアリの作曲パートナーがパワーメタルを得意としていたスタヴァンではなくなった事もあり、攻撃性は薄れた。更に1990年代前半頃から始まったグランジ/オルタナティヴの隆盛など、正統派ヘヴィメタルに対する逆風の吹き荒れる時代の趨勢も相俟って、アルバム自体の話題、セールス等でも全盛期を超えることはできていない。アルバムのリリース後、ジャーゾンベクが脱退。後任には前TNTジョン・マカルーソが加入。1994年、3度目の来日公演を行う。

1995年、『THE BRETHREN OF THE LONG HOUSE』をリリースしたものの、サウンド・プロダクションを巡って、デビュー当時からずっとバンドに関わってきたプロデューサー兼マネージャー、スティーヴ・ローブとの確執が表面化するなど、音楽面以外でも様々なトラブルに見舞われてしまい、中心人物であるリアリが音楽活動に集中できる環境であるとは言い難い状況となっていた。1996年、4度目の来日公演を行う。

スティーヴ・ローブとの決別を経て、ゼロ・コーポレーションへと移籍した。1998年、ドラムにジャーゾンベクが復帰して『INISHMORE』をリリース。5度目の来日公演を行う。

1999年、『SONS OF SOCIETY』をリリースするも、直後にジャーゾンベクがハルフォードに引き抜かれてしまい再脱退した。ツアーではパット・マグラスが代役を務めた。このアルバムに伴うツアーでは来日公演は実現しなかった。

2000年、元レインボーブラック・サバス等のドラマー、ボビー・ロンディネリを迎え、ジャーゾンベクの予定に空きが出るのを待ったが、結局活動のめどは立たず、2002年、『THROUGH THE STORM』をリリース。その後ロンディネリは脱退し、後任にVIRGIN STEELE、HOLY MOTHERのメンバーであるフランク・ギルクライストが加入。

2005年、6度目の来日公演を行い、ヴォーカルをTHE LIZARDS(ボビー・ロンディネリのバンド)[6]の活動の為参加できなかったディメオに代わり、ギルクライストと共にHOLY MOTHERのメンバーであるマイク・ティレリが務めた。

2006年、『ARMY OF ONE』をリリース。ここではディメオがヴォーカリストを務めたが、2007年、7度目の来日公演では再びティレリがヴォーカリストを務め、ディメオ時代には再現できなかった「Dance Of Death」等のムーア時代の楽曲を披露し往年のファンを狂喜させた。2007年末、ディメオは掛け持ち加入していたマスタープランに専念する為に正式に脱退(後にマスタープランも脱退)。以前より度々参加していたマイク・ティレリの正式加入があったが、すぐに後述の「THUNDERSTEEL REUNION」の企画が立ち上がったため、活動することなく脱退した。

8808 THE THUNDERSTEEL REUNION(2008~2009)[編集]

2008年、『THUNDERSTEEL』20周年を記念して同アルバムリリース当時のメンバーが再集結してアルバムをリリースする、と発表。ムーア、リアリ、スタヴァン、ジャーゾンベクという『THUNDERSTEEL』『THE PRIVILEGE OF POWER』のレコーディング・メンバーにフリンツを加えた5人(初来日時のメンバー)でアルバムの制作を開始。2009年6月にはこのメンバーでテキサス・サンアントニオでライヴを行い、新曲「Wings Are For Angels」を始め、ムーア時代の曲を中心に披露し、その後「Sweden Rock Festival」などのイベントに参加した。しかし、旧公式サイトの管理人"6th Member"による「Reunionには関われない」とのホームページへの書き込みなど、以前の関係者とリユニオン側の関係者との間に何らかの確執があった様子も窺える。

2009年10月、8度目の来日公演[7]が実現、それに先駆けて同年同月『THUNDERSTEEL』『THE PRIVILEGE OF POWER』がデジタル・リマスタリングを施されて再リリースされた。この2枚のアルバムには当初ボーナス・トラック追加の予定があったようだが[8]、実現しなかった。

この日本公演中に、ムーア自身による「アタラシイ・レコード・ハルニデマス」との日本語のアナウンスがありファンは期待を寄せたが、今後の活動方針をめぐって意見が対立し、ムーアは再脱退しFAITH AND FIRE[9]に専念すると発表された[10]

ムーアの復帰からリアリの死去まで(2009~2012)[編集]

ムーア脱退を受けてバンドは後任のヴォーカリスト探しを始めたものの結局決まらず、2010年9月にムーアが復帰した[11]。2011年にアルバム『IMMORTAL SOUL』を発表。

2012年1月11日、リーダーのマーク・リアリがクモ膜下出血を発症して昏睡状態となる[12]。バンドは予定されていた公演をリアリ抜きの編成で行うが、リアリは回復することなく、長年患ってきたクローン病の合併症により1月25日に死去[12]。遺族の意向もあり、ライオット名義での活動に終止符が打たれた。

Riot V(2013~現在)[編集]

2013年、バンドは残りのメンバーでの活動継続への道を模索していたが、トニー・ムーアが健康上の問題もあり脱退した。その後様々なボーカリストを調査し、トッド・マイケル・ホールが加入。そして、これまでバンドを牽引してきたマーク・リアリに敬意を表して「Riot V (ファイブ)」と改名(日本でのみRiot名義のまま)した上での活動継続を発表。

2014年1月、空席だった2人めのギターとして、26歳のニック・リーが加入。また、ボビー・ジャーゾンベクは活動に参加しておらず、代役として『ARMY OF ONE』でドラムを担当したフランク・ギルクライストが加入した。ヨーロッパで数公演を行い、新曲「Metal Warrior」を披露した。2014年8月、マーク・リアリ没後初のアルバムとなる『UNLEASH THE FIRE』をリリース。日本公演の思い出について歌った「Land Of The Rising Sun」などが収録されている。ラウドパーク14への出演が決定した。

ディスコグラフィー[編集]

オリジナルアルバム[編集]

  1. 1977年 ロック・シティ - ROCK CITY
  2. 1979年 ナリタ - NARITA
  3. 1981年 ファイアー・ダウン・アンダー - FIRE DOWN UNDER
  4. 1982年 レストレス・ブリード - RESTLESS BREED
  5. 1984年 ボーン・イン・アメリカ - BORN IN AMERICA
  6. 1988年 サンダースティール - THUNDERSTEEL
  7. 1990年 ザ・プリヴィレッジ・オブ・パワー - THE PRIVILEGE OF POWER
  8. 1993年 ナイトブレイカー - NIGHTBREAKER
  9. 1995年 ブレズレン・オブ・ザ・ロング・ハウス - THE BRETHREN OF THE LONG HOUSE
  10. 1998年 イニッシュモア - INISHMORE
  11. 1999年 サンズ・オブ・ソサエティ - SONS OF SOCIETY
  12. 2002年 スルー・ザ・ストーム - THROUGH THE STORM
  13. 2006年 アーミー・オブ・ワン - ARMY OF ONE
  14. 2011年 イモータル・ソウル - IMMORTAL SOUL
  15. 2014年 アンリーシュ・ザ・ファイア - UNLEASH THE FIRE

ライヴアルバム[編集]

  1. 1982年 RIOT LIVE (US&Europe)
  2. 1989年 ライオット・ライヴ - RIOT LIVE
  3. 1992年 ライオット・イン・ジャパン〜ライヴ!! - RIOT IN JAPAN…LIVE!
  4. 1998年 シャイン・オン - SHINE ON

ミニアルバム/マキシ・シングル[編集]

  1. 1981年 OUTLAW
  2. 1985年 WARRIOR(LIVE)
  3. 1998年 ANGEL EYES
  4. 2005年 THE TYRANT SESSIONS[13]

ベストアルバム[編集]

  1. 1994年 グレイテスト・ヒッツ'78〜'90GREATEST HITS '78-'90[14]

メンバー[編集]

現在のメンバー[編集]

  • ヴォーカル: Todd Michael Hall : トッド・マイケル・ホール(2013-)
  • ギター: Mike Flyntz : マイク・フリンツ(1989-)
  • ギター: Nick Lee : ニック・リー(2014-)
  • ベース: Don Van Stavern : ドン・ヴァン・スタヴァン(1984-1990,2008-)
  • ドラム: Frank Gilchriest : フランク・ギルクライスト(2003-2008,2014-)

過去に在籍したメンバー[編集]

Guy Speranza : ガイ・スペランザ (1975-1981)
Rhett Forrester : レット・フォリスター(1981-1984,1986)
Harry "THE TYRANT" Conklin : ハリー・コンクリン(1986)[15]
Tony Moore : トニー・ムーア(1986-1992,2008-2009,2010-2013)
Mike DiMeo : マイク・ディメオ(1991-2007)
Mike Tirelli : マイク・ティレリ(2005-2008)
Mark Reale : マーク・リアリ(1975-2012)
L.A. Kouvaris : L.A.クヴァリス(1975-1981)
Rick Ventura : リック・ヴェンチュラ(1981-1984)
Phil Feit : フィル・フェイト(1975-1976)
Jimmy Iommi : ジミー・アイオミ(1976-1980)
Kip Leming : キップ・レミング(1980-1984)
Pete Perez : ピート・ペレス (1990-2008)
Peter Bitelli ピーター・ビテリ(1975-1981)
Sandy Slavin : サンディ・スレイヴィン(1981-1984,1986)
Mark Edwards : マーク・エドワーズ (1986-1987)[16]
Bobby Jarzombek : ボビー・ジャーゾンベク(1987-1994,1998-1999,2008-2014)
John Macaluso : ジョン・マカルーソ(1994-1997)
Pat Magrath : パット・マグラス(1999-2000)
Bobby Rondinelli : ボビー・ロンディネリ(2000-2002)

メンバーの変遷[編集]


来日公演[編集]

12/11 毎日ホール(大阪)
12/12 クラブチッタ(川崎)
12/14,15,16 MZA有明(東京)
6/12 川崎市立教育文化会館(川崎)
6/13 簡易保険ホール(東京)
6/14 神戸国際会館(神戸)
6/17,19 渋谷公会堂(東京)
加筆求む
4/2 クロッシングホール(福岡)
4/3 バッドランド(広島)
4/5 ボトムライン(名古屋)
4/6,7 AMホール(大阪)
4/9 ビーブベースメントシアター(仙台)
4/10 ペニーレーン24(札幌)
4/12,13,14 クラブチッタ(川崎)
1/28 梅田ヒートビート(大阪)
1/29 ボトムライン(名古屋)
1/31,2/1 クラブチッタ(川崎)
2/2 ビーブベースメントシアター(仙台)
9/1,2,3 池袋LIVE INN ROSA(東京)
4/18,19 渋谷クラブクアトロ(東京)
10/23 Shangri-La(大阪)
10/24,25 クラブチッタ(川崎)
10/19 さいたまスーパーアリーナ(埼玉)

関連バンド[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 同楽曲は、後に本城未沙子アクセル・ルディ・ペル屍忌蛇らにもカヴァーされている。
  2. ^ Riot | Awards | AllMusic - 2014年6月14日閲覧
  3. ^ リアリの後の回想によると、『FIRE DOWN UNDER』の頃がアメリカでは人気のピークだったとの事。再結成後は、アメリカン・ロックとは大きくかけ離れた音楽性もあり、日本やヨーロッパと較べると、本国アメリカではセールス面で苦戦を強いられ続けている。
  4. ^ ベストアルバム『GREATEST HITS(リリース当初は『STAR BOX』)』の選曲は、当時の所属レコード会社・ソニー・ミュージックエンタテインメント(当時CBSソニー)が版権を所有しているアルバムからの選曲となったが、ソニーは『BORN IN~』の版権も所有していたにも拘らず、同アルバムからは1曲も収録されていない。
  5. ^ 『NIGHTBREAKER』日本盤のジャケットは、ペイントツールで矩形を並べた程度のCG。バンド・ロゴはデビュー当時に戻っている。ドイツ盤(リンク先参照)やアメリカ盤はジャケットや曲目が若干異なる。アメリカ盤にはアザラシがいる。
  6. ^ 『THROUGH THE STORM』に参加したロンディネリが、自分のバンドであるTHE LIZARDSにディメオを誘い、RIOTとの掛け持ちの形で加入させた。ディメオは、かつてサッカー仲間として親しかったリッチー・ブラックモアから、ジョー・リン・ターナーの後任としてディープ・パープルにも誘われ、実際に何曲かレコーディングも行っている。ブラックモアは、RIOTの「青い影(『NIGHTBREAKER』日本盤、米盤に収録)」のデモを聴いてそのヴォーカルに惚れ込んだが、「他メンバーの猛反対に遭い」ディメオ加入は実現しなかったとの事(「Burrn!」のインタビューより)。
  7. ^ 当初『THUNDERSTEEL』の完全再現が謳われていたが、バンド側からの正式発表ではなく、実現しなかった。
  8. ^ HMVによるアルバム・レビューより。ソニー・ミュージックによるリリース・インフォにも同様の記述がある。
  9. ^ ムーア、フリンツ、John Miceli(Ds)、Danny Miranda(B)によるバンド。現在唯一のアルバム『ACCELERATOR』のアートワークはムーアが手掛けている。
  10. ^ Riot Parts Ways With Singer Tony Moore - Blabbermouth.net - 2014年6月14日閲覧
  11. ^ Vocalist Tony Moore Rejoins Riot Again - Blabbermouth.net - 2014年6月14日閲覧
  12. ^ a b Founding Riot Guitarist Mark Reale Dies At 56 - Blabbermouth.net - 2014年6月14日閲覧
  13. ^ トニー・ムーア脱退時、その後任として加入寸前までいったヴォーカリスト、Harry "THE TYRANT" Conklinが「Medicine Man」「Magic Maker」(いずれも『NIGHTBREAKER』収録曲)を歌っている。とてもオフィシャル盤とは言い難いが、「Warrior」のマキシシングルも、「ZYX Record」なる不審なレーベルからリアリの全く知らない間にリリースされていたり、RIOTにはこの種の出処不明な怪しい音源が多数存在する。『RIOT LIVE(1989年版)』や『FIRE DOWN UNDER(再発CD)』のボーナス・トラック等もこの種の音源である。
  14. ^ ソニー・ミュージック独自企画のベストアルバム『STAR BOX』(1993年)をバンド公認のベストアルバムとして再リリースしたもの。
  15. ^ 1986年の再結成ツアーで、レット・フォリスターがツアー途中に復帰するまでの短期間在籍した。
  16. ^ 『THUNDERSTEEL』収録曲「Fight Or Fall」「Sign Of The Crimson Storm」「On Wings Of Eagles」「Bloodstreets」でプレイしている。

公式サイト[編集]