ヨーロッパにおける民族自決 (1920年)

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第一次世界大戦による国境の変遷。

ヨーロッパにおける民族自決(ヨーロッパにおけるみんぞくじけつ)は、第一次世界大戦後、パリ講和会議において、ウッドロウ・ウィルソンアメリカ合衆国大統領の提唱した「民族自決」の元に独立した(国家承認された)ヨーロッパ諸国を指す。

概要[編集]

第一次世界大戦の終結後、ロシア革命及び敗戦国となった中央同盟の解体によって空白となった東欧地域が独立の主体となった。ただしウィルソン大統領は、民族自決をヨーロッパ列強諸国の植民地にも自決権を与えようとしたため、戦勝国イギリスフランスが反対し、自決権は、ヨーロッパのみに留められた。自決権によって保障された国家の承認1920年になされた。これらの諸国は、ヴェルサイユ体制において独立が維持されたが、世界恐慌以後は政情は安定せず、また小国ゆえに大国の緩衝国と成り果て、第二次世界大戦が勃発すると次々に侵略を受け、独立を喪失した。

民族自決によって独立国となった国[編集]

関連項目[編集]