ヨーゼフ・テアボーフェン

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ヨーゼフ・テアボーフェン

ヨーゼフ・アントニウス・ハインリヒ・テアボーフェンJosef Antonius Heinrich Terboven1898年5月23日-1945年5月8日)は、ドイツ政治家国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)のエッセン大管区指導者第二次世界大戦中にはドイツ占領下ノルウェー国家弁務官をしていた。ドイツの敗戦に際して自決。

略歴[編集]

エッセン出身。父は小規模の土地を持つ地主だった。第一次世界大戦ではドイツ帝国陸軍野砲部隊に入隊。さらに創設されたばかりの空軍に入隊した。中尉まで昇進し、鉄十字章を叙勲した。ミュンヘンフライブルクの大学で政治学と法律を学ぶ。1923年に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)に入党(党員番号25,247)。同年のミュンヘン一揆にも参加。同年党が解散すると銀行で働いた。1925年に銀行の仕事を離れ、再建されたナチス党に再度参加し、常勤党員として活動。エッセンのナチス党設立に大きな活躍をし、1928年にはエッセン大管区指導者に任じられた。1925年からは突撃隊(SA)の隊員にもなっている。1934年6月29日にヨーゼフ・ゲッベルスの秘書及び愛人であったイルゼ・シュタール(Ilse Stahl)と結婚。結婚式にはアドルフ・ヒトラーも出席している。1935年にはプロイセン州西部を占めるライン州de:Rheinprovinz)の州総督(Oberpräsident)となる。当時から冷酷な支配者として名を馳せた。

最前列で座っている人物は左からノルウェー首相ヴィドクン・クヴィスリング親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラー、テアボーフェン、ノルウェー駐留軍司令官ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト歩兵大将、1941年ノルウェー。

第二次世界大戦中の1940年6月にノルウェーはドイツに占領され、9月にはヒトラーよりテアボーフェンがノルウェーの国家弁務官(Reichskommissar)に任じられた。ノルウェーのスコウガム(Skaugum)の皇太子宅を接収して使用した。またノルウェー国会(Storting)を自らの行政府に定め、ここから行政を執り行った。占領下ノルウェーでも一応ノルウェー人のヴィドクン・クヴィスリングが首相に定められて内閣を構成していたが、ドイツ政府の傀儡であり、実権は弁務官のテアボーフェンが握っていた。テアボーフェンは駐留する40万人のドイツ軍の監督には直接の権限を持たなかった。しかし軍のうち6000人と秘密警察800人ほどは弁務官である彼の指揮下に置かれていた。ノルウェーにファルスタッド強制収容所KZ Falstad)、ブレットヴェト強制収容所KZ Bredtvet)などを設置させた。テアボーフェンはノルウェーに強圧政治をおこなったため、ノルウェー人から激しく憎まれていた。またドイツ人からも評判は良くなかった。ゲッベルスも日記の中でテアボーフェンの占領政策を「イジメ作戦」などと評している。

1945年5月8日、ドイツの敗戦を知ったテアボーフェンは、自らブンカーに籠るやダイナマイトで自爆した。なおすでに自決していたノルウェーの親衛隊及び警察高級指導者ヴィルヘルム・レディースの遺体もテアボーフェンの指示により一緒にこの塹壕の中に入れられていた。

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