ヨハン・ルートヴィヒ・クレープス
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ヨハン・ルートヴィヒ・クレープス(Johann Ludwig Krebs, 1713年10月12日 - 1780年1月1日)はバロック音楽末期のオルガニスト・作曲家。親子2代そろってのバッハの高弟として歴史に名を残し、作曲家として恩師から北ドイツ・オルガン楽派の伝統を引き継いだ。バッハの長男ヴィルヘルム・フリーデマンや次男カール・フィリップ・エマヌエルと同世代だが、彼らと違って伝統的なポリフォニー構成を好んだ。
ヴァイマル出身。父親は高名なオルガン奏者ヨハン・トビアス。ルートヴィヒは、音楽的才能に恵まれたクレープス兄弟の、少なくとも3人のうちの一人であった。オルガン、リュート、ヴァイオリンを学ぶためにライプツィヒに行き、父トビアス同様、バッハにオルガンを師事する名誉に恵まれた。バッハはルートヴィヒに高い評価を与えており、明らかに愛弟子と認めていた(ドイツ語のバッハには小川やせせらぎ、クレープスには蟹の意味があることから、バッハは次のように洒落てみせた。「(クレープスは)小川に棲む良いカニである」)。
技術的観点からすると、ルートヴィヒ・クレープスは、バッハの次に熟練の演奏家であった。しかしながら庇護者を得たり、聖堂に地位を得たりすることはクレープスにとって困難だった。これは当時、前古典派音楽への贔屓から、バロック音楽の伝統が消え去りつつあったためかもしれない。
ツヴィッカウでささやかな地位を得た後、恩師の死から5年後の1755年、ゴータ=アルテンブルク侯国の宮廷オルガニストに任命される。クレープスはすっかり絶望していたために、金のためでなく、家族を養うために働いた(クレープスは7人の子がいた)。けっして貧乏というわけではなかったものの、また要職に就くことも、宮廷作曲家になることも作品の委嘱を受けることもままならなかったものの、それでもかなり重要な曲集を編むことができた。とはいえ、これは20世紀初頭になるまでほとんど出版されなかった。
作曲家としてクレープスは、バッハの卓越した指導に恵まれたと見なされている。クレープスの対位法は、バッハにくらべると見劣りするが、バッハはその奥義を極めていたのだから、このような比較はあまり意味がない。つまるところクレープスの作品は、すぐれた質を示しているが、当時としてはかなり流行おくれだった。最も有名な作品に、《トッカータとフーガ ホ長調》が挙げられる。父親の作品とも伝えられる《8つの小プレリュードとフーガ》は、ときにバッハの作品と混同されてきた。クレープスの息子たちも、当時は有名な演奏家となった。


