ヨハン・マリア・ファリナ

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ヨハン・マリア・ファリナ
Letter for one of the orders of Farinas new fragrance 1716
Invoice for Eau de Cologne 1763
Townhalltower in Cologne with staue of Johann Maria Farina, left side 2.floor
Statue of Johann Maria Farina in the Cologne's Town Hall.
Johann Maria Farina
Johann Maria Farina Street on Cologne
Bronze of Johann Maria Farina
Casa Farina in Santa Maria Maggiore
Via G.M.Farina in Santa Maria Maggiore
Gravestone of Johann Maria Farina in the Melaten-Friedhof cemetery in Cologne.

ヨハン・マリア・ファリナJohann Maria Farina,1685年12月8日 - 1766年11月25日)はイタリア人香水職人であり、「オーデコロン」の開発者。イタリア語名はジョヴァンニ・マリーア・ファリーナ (Giovanni Maria Farina)。

人物[編集]

1709年7月13日、ヨハン・ファリナによってケルンに世界で一番古い香水の工場が創られた。ヨハン・マリア・ファリナ (1685-1766)は彼の香水を彼の新しい故郷となったケルンに敬意をこめて『Eau de Cologne』(ケルンの水)と名付けた。彼のおかげでケルンは香水の街として世界に有名になった。そしてケルン市は、市庁舎の塔に彼の石像を設置して彼を称えた。

1734年、プロイセン王に納めたのを機にヨハン・ファリナは18世紀には、ヨーロッパのほぼ殆どの宮廷にオウ・デ・コロンを納めた。ヨハン・マリア・ファリナは1708年に彼の兄弟の一人に“私の香水は私の故郷イタリアの雨上がりの春の朝の柑橘類(オレンジ、レモン、グレープフルーツ、ベルガモット)、花、ハーブ等を思い出させます。”と手紙に書いた。

ヴォルテールやゲーテはファリナのオウ・デ・コロンの爽やかさに感嘆した。英国のヴィクトリア女王はケルンのこの香りが気に入り、1837年に女王に君臨した年にファリナを王室御用達商人に指名した。殆どのヨーロッパの王室がこれに続いた。日本においては1874年2月17日に宮内庁(当時宮内省)御用達になった。オウ・デ・コロンの三百年の香りの歴史は今日八代目のヨハン・マリア・ファリナに受け継がれている。 

参考文献[編集]

外部リンク[編集]