ヨハン・ネポムク・フックス

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ヨハン・ネポムク・フックスJohann Nepomuk Fuchs, 1842年5月5日 シュタイアーマルク州フラウエンタール・アン・デア・ラスニッツ1899年10月15日 ニーダーエスターライヒ州バート・フェースラウ)はオーストリア作曲家指揮者・音楽教師。弟ローベルト・フックスも作曲家である。

プレスブルクブルノケルンハンブルクライプツィヒで指揮者を歴任した後、1880年ウィーン宮廷歌劇場楽長に就任(1894年に副楽長として残留)する。1888年ウィーン音楽院の教員となり、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーらを育成する。1893年より院長も務めた。オペラ劇付随音楽を作曲しており、ヘンデルグルックシューベルトのオペラを校訂した。また、旧シューベルト全集の出版の際にはブライトコプフ・ウント・ヘルテル社の顧問も務めた。

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  • “Obituary: Johann Nepomuk Fuchs”, The Musical Times and Singing Class Circular 40: 768, (1899) .

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