ユーリイ・レヴィチン

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ユーリイ・レヴィチンウクライナ語:Юрій Абрамович Левітін, ロシア語:Юрий Абрамович Левитин, ラテン文字:Yuri Abramovitch Levitin1912年12月18日 - 1993年8月2日)は、ウクライナ出身の作曲家

ポルタヴァ出身。1935年レニングラード音楽院を卒業するが、1937年に大学院に入ってピアノを学び、さらにドミートリイ・ショスタコーヴィチ作曲クラスで学んで1942年に修了した。

1931年から1941年までレニングラード国立劇場とレニングラードフィルハーモニー協会でピアニストとして働き、1941年にタシケント劇場の音楽監督となったが、翌年にモスクワに移住した。1947年ソビエト連邦共産党に入党。1952年スターリン賞を受賞し、1980年にはロシア人民芸術家の称号を与えられた。

作品には4つのオペラ、7つのカンタータ、2つの交響曲管弦楽のための協奏曲トランペット協奏曲クラリネット協奏曲チェロ協奏曲オーボエ協奏曲ホルン協奏曲、12の弦楽四重奏曲歌曲映画音楽などがある。

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