ユーリイ・オレーシャ

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ユーリイ・カールロヴィチ・オレーシャЮ́рий Ка́рлович Оле́ша, 1899年 - 1960年)は、ロシア作家詩人である。

略歴[編集]

1899年、税務署員の父のもとでロシア帝国のエリザヴェトグラード(現在のウクライナキロヴォフラード)に生まれた。ポーランド貴族の家柄だったが裕福な暮らしではなかった。母語はポーランド語である。1902年、家族はオデッサへ移る。オレーシャはそこでギムナジウムに通った。まだ学生であるうちから、詩作にとりくんでいる。詩篇「クラリモンド」(1915年)が「南方報知」紙にのった。

1917年にギムナジウムを卒業し、オデッサ大学へ入学。2年間法学を学んだ。オデッサで若き文学者であるヴァレンチン・カターエフらとともに「詩人集団」をつくる。

ロシアで内戦が始まるとオレーシャはオデッサを離れ、1921年にウラジーミル・ナルブートの紹介でハリコフに職を見つける。ジャーナリストとして働き、いくつかの新聞に詩をのせた。1922年、オレーシャの両親はポーランドへと移民したが彼はついていかなかった。1922年にオレーシャはモスクワへ移り住み、「ズビロ」(鏨の意)というペンネームでコラムや論文を書いた。それらの作品は鉄道職員の新聞「汽笛」にのっている(ミハイル・ブルガーコフのものも掲載されている)。モスクワでのオレーシャは、カメルゲルスキー通りにあった有名な「作家の家」に住んでいた。

1924年、オレーシャは最初の長めの作品を書き始めた。1928年に出版された「三人ふとっちょ」であり、これは彼の妻、オリガに捧げられた。1927円には雑誌「赤い処女地」に彼の唯一の長編小説である「羨望」が載った。この作品は革命後のロシア・ソビエトでも最良の小説のひとつとされ、当時から非常に話題になった。

1960年5月、モスクワで死去。

日本語訳書[編集]

  • 「愛」工藤正広訳、晶文社、1971年
  • 「羨望」(『世界文学全集 : 20世紀の文学』31巻所収)木村浩訳、集英社、1967年

参考文献[編集]

  • 水野忠夫ほか「はじめて学ぶロシア文学史」ミネルヴァ書房、2003年
  • 沼野充義「ユーリイ・オレーシャ『羨望』の成立」、『ロシヤ語ロシヤ文学研究』第12号、日本ロシア文学会、1980年10月15日、 72-86頁、 NAID 110001256880