ヤロミール・ヤーガー

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ヤロミール・ヤーガー
生誕 1972年2月15日(42歳)
クラドノ, チェコスロバキア
身長
体重
6 ft 3 in (1.91 m)
240 lb (109 kg; 17 st 2 lb)
ポジション 右ウイング
シュート 左利き
NHLチーム
過去所属
ニュージャージー・デビルス
NHL
ピッツバーグ・ペンギンズ
ワシントン・キャピタルズ
ニューヨーク・レンジャース
フィラデルフィア・フライヤーズ
ダラス・スターズ
ボストン・ブルーインズ
Cze-1
HCクラドノ
RSL/KHL
アバンガルド・オムスク
代表 チェコ &
チェコスロバキア
NHLドラフト 5th overall(1990年)
ピッツバーグ・ペンギンズ
現役期間 1988年 – 現在

ヤロミール・ヤーガー(Jaromir Jagr、1972年2月15日 - )はチェコスロバキアクラドノ出身のアイスホッケー選手。ポジションはフォワード

来歴[編集]

地元クラドノのジュニアチームを経てチェコ・エクストラリーグのHCクラドノに所属する。

1990年ピッツバーグ・ペンギンズよりドラフト一巡目、全体5位で指名を受ける。 1990-91シーズンにNHLデビューを果たし、80試合に出場し27ゴール30アシストを記録する。 プレイオフではペンギンズはスタンレーカップを獲得し、ヤーガーはNHLキャリア最初の年でスタンレーカップウィナーとなった。 自身もプレイオフで24試合に出場し3ゴール10アシストを記録している。 1991-92シーズンでもプレイオフでチームはスタンレーカップを獲得し、二年連続スタンレーカップを獲得している。

1994-95シーズンNHLがロックアウトにより各チーム48試合しか試合が開催されなかったシーズンではチェコやイタリアなどのチームでもプレイした。

2000-02シーズンまでペンギンズの主力選手(マリオ・ルミュー引退後はキャプテンとして)としてチームを引っ張っていたヤーガーだが、チームの財政難もあり、2001-02シーズンからはワシントン・キャピタルズに移籍した。 キャピタルズでのヤーガーのパフォーマンスはそこそこの成績ではあったものの、大枚をはたいたチームの首脳陣を満足させるほどのものではなく、2003-04シーズン途中にニューヨーク・レンジャースに移籍している。 ちなみに、レンジャースがヤーガーと結んだ契約はキャピタルズがヤーガーの年俸の一部を負担するというものであった。

2004-05シーズンのNHLシーズンキャンセル時にはまずチェコの出身チームでもあるHC Kladno、そしてロシアスーパーリーグ(RSL)のアバンガルド・オムスク(Avangard Omsk)でプレーした。そして同年の世界選手権優勝でトリプル・ゴールド・クラブの資格を得た。

2005-06シーズン、ヤーガーにはオムスクへの完全移籍のうわさがあったもののヤーガーはレンジャーズに復帰した。 ヤーガーは54ゴール69アシスト123ポイントをあげる活躍を見せ、チームは(ロックアウトされた1シーズンを除いて)過去7シーズン出場できていなかったプレイオフに進出した。 しかし、クォーターファイナルでニュージャージー・デビルスに敗退している。

2006-07シーズン、ヤーガーはそれまで固辞していたキャプテンマーク(Cマーク)をつけ(それまではアルタネートキャプテン、副キャプテンのAマークをつけていた)、プレイした。 二年連続でプレイオフに進出し、ファーストラウンドでプレイオフ初出場のアトランタ・スラッシャーズを四連勝のスウィープで破るものの、セカンドラウンドでバッファロー・セイバーズに破れた。

2007-08シーズン終了後、ヤーガーはレンジャーズとの契約延長交渉がまとまらず、アバンガルド・オムスク(前述のチームと同チームだが、2008年より新設されるKontinental Hockey League、KHL所属となっている)と契約を結んだ。

オリンピックではチェコ代表として長野オリンピックで金メダル、トリノオリンピックで銅メダルを獲得している。

背番号の『68』は移籍されても変わることがないが、これは祖父がなくなった原因でもあるプラハの春を忘れないようにつけられたもの。

特徴[編集]

最多ポイント賞のアート・ロス記念賞、リーグMVPのハート記念賞、選手会選出のMVPレスター・B・ピアソン賞を獲得しているスター選手である。

恵まれた体格とパワー、スキルとゴールセンスを兼ね備えている。

外部リンク[編集]