ヤラ (スループ)

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HMAS Yarra (AWM 016263).jpg
スループ「ヤラ(HMAS Yarra)」
艦歴
発注 コカトー島造船所
起工 1934年5月
進水 1935年3月28日
就役 1936年1月。
除籍
その後 1942年3月4日に大日本帝国海軍により撃沈。
性能諸元
排水量 常備:1,055トン
満載:1,480トン
全長 81.2m
全幅 11.0m
吃水 3.07
機関 アドミラリティー式重油専焼水管三胴缶2基
パーソンズギヤードタービン2基2軸推進
最大出力 2,000hp
最大速力 16.5ノット
航続距離 15ノット/5,500海里
重油 347トン
乗員 海軍士官:29名
水兵:375名
パイロット:38名
兵装 アームストロング 10.2cm(45口径)単装高角砲4基
オチキス 4.7cm(43口径)単装機砲4基
ヴィッカース 4cm(39口径)単装ポンポン砲4基
爆雷15発

ヤラ(HMAS Yarra)はオーストラリア海軍スループグリムズビー級スループの一隻。

艦歴[編集]

1934年5月28日起工[1]。1935年3月28日進水[1]。1936年1月21日就役[1]

沈没[編集]

1942年2月27日、スループ、ジュムナとともに宿泊船アンキン (HMS Anking)、タンカー、ウォー・サーダー (War Sirdar)、ブリティッシュ・ジャッジ (British Judge)、フランコル (Francol)、掃海艇Gemas、MMS.51からなる船団を護衛してジャワ島タンジョン・プリオクから出発[2]。途中でウォー・サーダーは座礁し、ブリティッシュ・ジャッジは被雷して脱落したが、3月2日にチラチャップ沖に着いた[1]。だが、そこでチラチャップには入港せずジュムナはコロンボへ、ヤラは船団とともにフリーマントルへ行くよう命じられた[1]。3月3日、オランダ船Parigiの生存者を救助[1]。また同日夜、潜水艦探知の報告により爆雷2発を投下した[3]

3月4日、ヤラ、アンキン、フランコル、MMS.51は日本の重巡洋艦愛宕高雄摩耶、駆逐艦野分に捕捉攻撃された[3]。ヤラ艦長は船団に分散を命じ、敵との間に入って煙幕を張った[1]。だが、アンキン、MMS.51、フランコルと撃沈され、最後にヤラも沈んだ[4]。ヤラ乗員は3月9日にオランダ潜水艦K11によって13名が救助されたが、艦長以下138名が死亡した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h HMAS Yarra (II)
  2. ^ Australia in the War of 1939–1945. Series 2 – Navy - Volume Vol1, p.617
  3. ^ a b Australia in the War of 1939–1945. Series 2 – Navy - Volume Vol1, p.629
  4. ^ Australia in the War of 1939–1945. Series 2 – Navy - Volume Vol1, p.630

参考文献[編集]

参考リンク[編集]