ヤハウェ

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フェニキア文字アラム文字、およびヘブライ語活字によるヤハウェの名

ヤハウェヘブライ語: יהוה‎、フェニキア語: 𐤉𐤄𐤅𐤄古アラム語英語版: 𐡉𐡄𐡅𐡄)とは、旧約聖書における唯一神である。

本項に示す通り、このを指す様々な表現が存在するが、特に意図がある場合を除き、本項での表記は努めてヤハウェに統一する。また本項では、ヤハウェを表す他の語についても述べる。

普通名詞[編集]

ヤハウェを指して次のような普通名詞もしくはそれに類するものが用いられる場合がある。(かっこ内に対応するヘブル語表現をカタカナで示す)

  • 主(アドナイ)
  • 神、上帝(エルもしくはエロヒム)
  • 全能の神(エル・シャダイ)

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日本語訳聖書では今日、一般に、原文においてヤハウェ יהוה とある箇所を「主」と訳す。

これはおもに、#消失の経緯で後述するユダヤ人慣習による。今日のユダヤ人はヤハウェと読まずに、アドナイ(「わが主」)という別の語を発音するのである。

カトリック系の『バルバロ訳』のほか、『口語訳聖書』(日本聖書協会)などがこれである。また、口語訳聖書を後継する『新共同訳聖書』(同)も、一部の地名(『創世記』第22章14節、#固有名詞で後述)を除き、一貫して「主」とする。

プロテスタント福音派系の『新改訳聖書』では太字で「」とする。これは「文語訳ではエホバ[1]と訳され、学者の間ではヤハウェとされている主の御名を」「訳し」た「」と、これを「代名詞などで受けた場合かまたは通常の<主>を意味することば」とを区別するためである[2]

日本聖公会は、1893年の時点で、エホバではなく主の語を用いるべきだとしている[3]

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旧約聖書では、「神」という一般名詞であるエル(古典的なヘブライ語発音でエール)やその複数形エロヒム、またはエローヒーム、エロヒーム(אלהים)などもヤハウェの呼称として用いられる。

一般に、日本語訳聖書ではこれらの音訳は使用せず、これに相当する箇所は漢訳聖書での訳語を踏襲し神とするものが多い。

「全能・満たすもの」を意味するとされるシャダイの語を付してエル・シャダイとした箇所は、全能の神などと訳される。

エルシャダイというゲームがイグニッション・エンターテイメントより発売されているほか、日本福音ペンテコステ教団 高松クリスチャンチャーチにもこの名で「天地万物の創造者である神を賛美し、神からの愛と希望のメッセージを伝えるために活動」[4]するゴスペルバンドが存在する。

上帝[編集]

中国語の聖書には、本項の神について「神」という語をあてたもののほか、「上帝」となっているものがかなり存在した。今日もっとも多く使われる和合本という翻訳の聖書も、この語を「神」とした上で1文字分の空白をあけ、「上帝」とした場合と比較して文字送りに差が出ないようにしたものが多い。

」の字が、「ヘブライ語: אלהים‎」または「אלוהים」、古代ギリシャ語「Θεός」、英語「God」の訳語に当てられたのは、近代日本でのキリスト教宣教に先行していたにおけるキリスト教宣教の先駆者である、ロバート・モリソン英語版による漢文聖書においてであった。[5]

しかしながら訳語としての「神」の妥当性については、ロバート・モリソン死後の1840年代から1850年代にかけて、清における宣教団の間でも議論が割れていた。

大きく分けて「上帝」を推す派と「神」を推す派とが存在したが、和訳聖書の最も重要な資料と推定される、モリソン訳の流れを汲むブリッジマン・カルバートソンによる漢文訳聖書は、「神」を採用していた。

ほとんどの日本語訳聖書はこの流れを汲み[6]、「神」が適訳であるかどうかをほぼ問題とせずに[7]、今日に至るまで「神」を翻訳語として採用するものが圧倒的多数となっている。

固有名詞[編集]

旧約聖書すなわちヘブライ語聖書の原文には、ヘブライ語で記されたヤハウェの יהוה が6859回登場するとされている。

これは4文字のヘブライ文字からなることから、ギリシャ語ではΤετραγράμματονテトラグラマトン(神聖四字、原義は「四字」)とも呼ばれる。

アラム文字でヘブライ語を記述するようになってからも、この4文字はフェニキア文字で書かれていたとされる[8]

ちなみにこの4文字は、ヘブライ語以外のアルファベットでは、YHVH、YHWH、JHVH、JHWH、IHVHなどと翻字される。

新共同訳聖書』付録には、「神聖四文字YHWH」について次のように記されている。

この語の正確な読み方は分からないが一般にヤーウェまたヤハウェ(文語訳ではエホバ[9])と表記されている。この神名は人名の末尾に「ヤー」という短い形で付加されることが多い(「イザヤ, エレミヤ」)など)

新共同訳聖書』付録30ページ「用語解説」主(しゅ)

なお、同書では「旧約聖書中」とあり、一般にこの固有名詞新約聖書には登場しない。写本などの研究から、原文の新約聖書にも使用されなかったと考えられている。

発音[編集]

もともとヘブライ語は母音表記法を持たなかった。語幹は子音だけから成り活用を母音だけで表すため、文章子音文字のみで記述され、母音の復元はもっぱら読み手の語彙力によった。この方式をアブジャドといい、現代アラビア語などにもみられる。

やがて聖書ヘブライ語が日常言語としては死語になり、ヤハウェにあたる語を何と読むか、正確な発音は消失した。#消失の経緯で後述するように、その発音は人々の口に上らなくなっていたのである。

しかし後に、ニクダーもしくはニクードと呼ばれるいろいろな点々を打つことにより、母音の表記が可能となった。

また、すでにユダヤ人は、詠唱の際にヤハウェの名の登場する箇所をアドナイ(「わが主」、#消失の経緯で後述)[10]と読み替えるようになっていた。

その際、ヤハウェ(の子音字) YHWH יהוה に、アドナイ אֲדֹנָי と同じニクードすなわち -ă -ō -a という母音を示す点々を打って、そう読み慣わした。

これをそのまま読むと、イェホワ (יְהֹוָה YəHōVaH) と読める(文法上、ヘブライ文字yには弱母音のア ă を付けられないため、曖昧母音のエ ə に変化する)。

日本語のエホバ(ヱホバ)、英語の「Jehovah」、および各言語のそれに類する形は、ここに由来するのである。

それらは確率的に正しい読みに偶然に一致する可能性も完全には捨てきれないかもしれないが、あくまで可能性であって、学術的にはヤハウェと推定する見解で今日ほぼ一致している。(異論もある[11])

日本語ではヤハウェの他にヤハヴェ YaHVeH(ヘブライ文字 ו [w]は現代ヘブライ語読みで/v/と発音)、ヤーウェ YaHWe(HのaHを長音として音写)などの表記が用いられることもある。

人名などの要素として用いられる יהוה の略称は「ヤ」 ( יָה [yāh])、「ヤフ」 (יָהוּ [yāhû])等であり、ここから最初の母音はaであったと推測できる。

また、古代教父によるギリシア文字転写形として Ιαουε (イァォウェ)、Ιαβε (イァベ)があり、これらからYHWHの本来の発音は英語式に表記するところの「Yahweh」あるいは「Yahveh」であったと推測されている。

消失の経緯[編集]

#主のセクションにも言及したアドナイ(אֲדֹנַי [’Ăḏōnay][12])の語には、「主 (Lord)[13]」即ちヤハウェを婉曲に指す意味のほか、もともと「私の御主人様 (my master)[14]」即ち奴隷の雇用主など主一般を指す意味がある。

さて、前述の通りユダヤ人は、詠唱の際もアドナイと読み替えるなどして、ヤハウェの名の発音を避けてきた。現在もユダヤ人は一般生活において、ヤハウェをヤハウェと呼ばず、アドナイあるいはハッシェム(הַשֵּׁם [haš Šēm])などと呼ぶ。これらは、アドナイとは別の語である。

理由のひとつとして、出エジプト記申命記などにみられるモーセの十戒のうち次に挙げるものについて、直接神の名を口にすることは畏れ多い禁忌である、との解釈が後代に成立したためではないかと考えられている。(同一の箇所である。また、ヱホバとはヤハウェのことである)

汝の神ヱホバの名を妄に口にあぐべからずヱホバはおのれの名を妄にあぐる者を罰せではおかざるべし

あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。

これは本来その名をみだりに唱え、口にあげること(ヤハウェの名を連呼して呪文とすること、もしくはヤハウェの名を口にあげて誓っておきながら実際には嘘をつくこと)について、「そのようなことをすべきではない」と教えるものであって、名の発音を禁ずる趣旨ではないものと思われる[誰によって?]

古くはこの名は自由に口にされていたようである。南ユダ王国崩壊からバビロン捕囚までの時代に書かれた『ラキシュ書簡』にも יהוה は頻繁に現れており、この名がこの時代に至ってもなお口にされていたことがわかる。また、それ以後にもこれを記した史料は散見される。

それがいつ頃から口にされなくなったのか正確には分からない。

しかし、紀元前3世紀初めごろから翻訳の始まった『七十人訳聖書』では、原語のヘブライ語での יהוה が置き換えられ、ほとんどの箇所で「主」を意味するキュリオス (Κύριος) と訳されている。

つまり、この頃にはこの名がアドナイと読み替えられていたのであり、バビロン捕囚以後の300年ほどの間にそのまま発音することが禁忌とされるようになったと考えられる[誰によって?]

語源[編集]

古くからヤハウェの名は、「存在」を意味する語根(√היה [√hyh])と関連づけて解釈されてきた。これは『出エジプト記』第3章第14節で、ヤハウェがモーセに応えて「私は在りて在るものである」 (אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה [’ehyeh ’ăšer ’ehyeh])と名乗った事に由来する。

この「私は在る」(אֶהְיֶה [’ehyeh])という一人称・単数・未完了相の動詞を三人称・単数・男性・未完了の形「彼は在る」にするとיִהְיֶה [yihyeh]となり、יהוהと似た形になる。ここから、ヤハウェの名はイヒイェの転訛で「『出エジプト記』に出て来た一言 」「彼は在りて在るものである」「実在するもの」「ありありと目の前に在り、在られるもの」などの意味だと解釈されてきた。

ヘブライ人は誓言の時に「主は生きておられる」という決まり文句を使っていたが、ここからも彼らがヤハウェを「はっきりしないとはいえ、生々しく実在するもの」と捉えていた事がわかる。はっきりしているのは、創世記の冒頭により、ユダヤ人(キリスト教徒ムスリム)は、闇が主要素となる宇宙空間を構築した正体を、ヤハウェ(ゴッドアラー)であると考えている点である。エロヒム (אלהים) はアラハヤム(アラー)とも読める。また、ヘブライ語ではエジプトの太陽神のことをアラー (אל) と表記する。

また、היהのヒフイル(使役)態の三人称・単数・男性・未完了相の形が、יַהְיֶה[yahyeh]となり、ちょうど「ヤハウェ」と同じ母音の組み合わせになる。ここからその名を「在らしめるもの」「創造神」とする解釈もある。

短縮形[編集]

本項の神を誉め讃える際に発するヘブライ語「ハレルヤ」(Hallelujah)の末尾の「ヤ」(ヤハJah)はその名の短縮形である。ジャマイカに発生したラスタファリ運動においても「ジャー」(Jah) という形で見ることができる。

ヤハウェ[編集]

#発音のセクションで述べたとおり、今日、学術的に推定される読みである。

中沢洽樹による旧約聖書[15]では「ハ」を小書きにしたものが用いられている。

ヤーウェ[編集]

学術的に推定される点ではおおむねヤハウェと同様であるが、はじめのh音が長母音化しており、発音としての正確さという点で疑問が残る。

カトリックの『フランシスコ会訳聖書』で使用される読みである。

#主で前述の通り、『新共同訳』ではこの神をほぼ一貫して「主」と呼び、『創世記』第22章14節でのみ「ヤーウェ」とする。これはいわゆるイサクの燔祭の行われた「ヤーウェ・イルエ」の地名を説明するために発音を示したものである。

ちなみにこの箇所は、パブリックドメイン化した他の聖書ではこうなっている。

アブラハム其處をヱホバエレ(ヱホバ預備たまはん)と名く是に縁て今日もなほ人々山にヱホバ預備たまはんといふ

それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。

アブラハムはその所を「ヤーウェ・イルエ」と名づけた。それで今日でもなお、「ヤーウェの山で計らわれる」と言われている。

ヤハヴェ[編集]

同じく学術的に推定される読みである。無教会派の関根正雄による旧約聖書などに登場する。

ヤーハウェ[編集]

やりすぎ都市伝説スペシャル2012春』[16]において、関暁夫イスラエル取材による『やりすぎ都市伝説外伝』にみられる読み。

同番組の中で、アミシャブ代表であるラビ・アビハイルの話として、伊勢民謡の歌詞の「コラーコラー ヤーハ トコーオセェヌオ」という一節は、「呼べ呼べ ヤーハウェを ヤーハウェは[17]憎しみを砕く」というヘブライ語であると紹介された。[18]関連については日ユ同祖論も参照されたい。

ヱホバ[編集]

日本の国語として伝統的な形である。

ヘボンらが1887年に完成した『明治元訳聖書』に用いられた。今ではこの翻訳はパブリックドメイン化され、電子版が容易に入手できる。日本聖書協会からはこれを収録したものが『文語訳聖書』または『舊新約聖書』などという書名で出版されている。

この語とこの翻訳は広く普及し、日本文学に大きな影響を与えた。

エホバの証人と名乗る宗教があるが、エホバという名を重視する彼らは、自分たちの聖書である『新世界訳聖書』日本語版(全訳)を1982年に刊行するまで、ヱホバと書かれた『文語訳聖書』をおもに使用してきた。しかし新約部分を見ると、彼らの聖書とは異なり――そして他の聖書と同じく――『文語訳』のそれにはヱホバやエホバなどの固有名詞が登場せず、現在では彼らは『新世界訳』をおもに使用している。

エホバの証人と源流を同じくする灯台社(燈臺社)員は戦時中、明石順三支部長の訳によって「ヱホバの證者」と称された。そして戦後しばらくして、この名はエホバの証人と改められ、現在に至る。

静岡県富士宮市には、日本ヱホバ教団という文部科学大臣所轄包括宗教法人が所在することが指摘されている[19]

エホバ[編集]

歴史的仮名遣で書かれたヱホバを現代仮名遣いに直したもの。ヱとエの差異に注目されたい。

俗に、エホバの証人を指して単に「エホバ」と呼ぶことがあるが、公式な略称ではなく、蔑称に近い。ひとりのエホバの証人は、「エホバの証人は自分たちのことを『エホバ』などと言ったりはしません」とこの用法を強く否定し、「エホバ信者」などというものは「差別的な表現」であると述べている[20]

エホバの証人の翻訳による『新世界訳聖書』は、ヘブライ語聖書(旧約聖書)のみならず、続くギリシャ語聖書(新約聖書)でもエホバを用いる。『新世界訳』側は、新約のそのような訳し方について「神のみ名を復元して」いるとし、「これらの訳し方を支持する様々な資料」なるものを挙げている[21]が、反論も多い。文献のひとつは、信頼ある校訂本文や古代訳、また教父文書にもエホバの名がないことなどを指摘した上で、『新世界訳』の「資料」に問題があることを5箇条にまとめて示しており、要約すると、新約で「エホバと訳したこと、これは正当な根拠がな」い[22]

一般に、エホバの証人と立場を異にする教会などは「エホバ」の呼称を忌避し、エホバの証人は盛んにこれを使用する、といった構図が見られる。

「エホバ」もしくは「ヱホバ」の読み(表記)は、日本の文学においても古くから好まれてきた。例として、カトリック俳人・阿波野青畝銀河季題とする俳句を鑑賞されたい。

銀河より聴かむエホバのささやきを

青畝

なお、前掲句の底本はその弟子である日本イエス・キリスト教団 明石人丸教会プロテスタント俳人・やまだみのる氏によるウェブサイトの秀句鑑賞のページによったが、この句には次のような形もあり、同サイト青畝俳句研究のページでは後者の鑑賞が行われている。細部の差異に注目されたい。

銀河より聞かむエホバのひとりごと

青畝

エホウァ[編集]

日本語の文献ではあまり見られない。

ユダヤ教成立後のヤハウェ[編集]

旧約聖書に於けるヤハウェは唯一神であり全世界の創造神とされ「宇宙の最高原理」のようなもので、預言者を除いた一般人にとっては、はっきりしない存在であるが、むしろ自ら人間たちに積極的に語りかけ、「妬む」と自称するほど感情的であり、創世記のとおり人類はヤハウェに似せて造られたことが伺える。ただし、広義では他の生物、物質も人類と性質が似ており、人類がヤハウェに似ていることは宇宙空間全体の事象に帰納できる。また、『創世記』第32章第31節~や『出エジプト記』第4章第24節~などには自ら預言者たちに試練を与える場面もあり、ヘブライ人たちがヤハウェを決してはっきりしないというだけではなく、預言者を通じて実在感のある存在と捉えていた事がわかる。

キリスト教におけるヤハウェ[編集]

Ἐγώ εἰµι ὁ ὤν”(エゴー・エイミ・ホ・オーン)=「私は在るものである」はイエスとヤハウェを結び付け、その神性を現す意図で多用されている。これはセプトゥアギンタの『出エジプト記』第3章第14節でヤハウェが「私は在るものである」と名乗ったので、イエスはこれを多用して自分がヤハウェと密接な関係にある事を暗に示したとされる(『ヨハネによる福音書』第8章第58節など)。 正教会において、イエスのイコン、とりわけ自印聖像においてその光輪にギリシア文字 "Ο・Ω・Ν"(ὁ ών 『在るもの』) を記す習慣もこれに関連する。

三位一体の教説が成立して以降、ヤハウェを単に神の名とするにとどまらず、特定の位格と結びついた名として捉える論考が現れる。一般に、西方教会においてはヤハウェ(ラテン語文献では多く「エホバ」)を父なる神と同一視することが多く、対して東方教会においてはヤハウェはイエス・キリストの神格における名であると考えられることがある[誰によって?]

最近の動向として、2008年6月29日付でバチカンの教皇庁典礼秘跡省は「教皇の指示により神聖四字で表記されている神の名を典礼の場において用いたり発音したりしてはならない」との指針を示した。教皇庁はこの指針の中で、近年の神の固有名を発音する習慣が増加している事態に対して懸念を表明し、神聖四字については「ヤーウェ」「ヤハウェ」「エホバ」などではなく、「主」と訳さなければならないと述べ、神の名を削除するよう求めている。これを受けて日本のカトリック司教協議会は、祈りや聖歌において「ヤーウェ」を使用してきた箇所を原則として「主」に置き換えることを決定した(一例として「主ヤーウェよ」と呼びかける部分は「神である主よ」とされた)。

異教由来説[編集]

ユダヤ教成立以前の信仰をヤハウェ信仰、あるいはエロヒム信仰とよぶが、両者は必ずしも同一の信仰ではなく、四資料説において、エルやエロヒムを神の呼称とする「E資料」、ヤハウェを神の名とする「J資料」が想定されている。両者はかなり性質の異なる別系統の神々だったが、唯一神教化する過程で混同され、同一神とみなされるようになった。エロヒムはヤハウェに比べてより古い信仰であり、もともとはセム系の諸民族にみられる多神教における最高神で、抽象的・観念的な天の神であった。イスラエルにおいてはサマリアガリラヤなど北部で信仰された。これに対し、ヤハウェの起源はエロヒムの起源に比べるとやや時代が下り、元来は暴風の神だったとする説が有力であるが、の神だったという説、あるいはシナイ山で信仰された火山の神だったのではないかと考える者もいる。ヤハウェは、抽象的なエロヒムと異なり、具体的な人格神で、慈愛だけでなく怒りや妬みも表す感情的な神であり、もともとはヘブロンを中心としたイスラエル南部の信仰で、王国時代にはエロヒムと異なりヤハウェの祭儀は祭司階級であるレビ族に担われた。あるいはアシマとアナトという2人の女神を后としていた上、アナトとは兄妹でもあったことから、古代オリエントバアルと同系の神ともされる。後にヤハウェとエロヒムは混同され、バビロン捕囚キュロスによる解放などを経てゾロアスター教の影響を強く受け、ヘレニズム時代にユダヤ教が成立していく過程で唯一絶対神の性格を帯びるようになった。ただし、唯一神教化した時代をより古く見積もる説では、出エジプトの頃のヘブライ人は古代エジプトのアテン神を信仰しており、そのためアテン信仰が廃された後に弾圧され、エジプトを脱出したのではないかとする説もある。

脚注[編集]

  1. ^ 原文まま。正しくは歴史的仮名遣で「ヱホバ」。
  2. ^ 『新改訳聖書』あとがき。
  3. ^ 日本聖公会祈祷文訂正委員報告』p.52 1893年
  4. ^ エルシャダイ 高松クリスチャンチャーチ
  5. ^ 柳父章『ゴッドと上帝』筑摩書房、1986年、120頁から131頁、ISBN 4480853014
  6. ^ 出典:柳父章 (1986)、160頁 - 162頁。
  7. ^ 全く問題にされなかったわけではない。1938年にはキリスト教神学者前島潔が、「神」という用語について論文を書いている。出典:柳父章 (1986)、122頁。
  8. ^ 『ヘブライ文字の第一歩』p.2
  9. ^ 原文まま。正しくは歴史的仮名遣で「ヱホバ」。
  10. ^ אדני
  11. ^ ハーザー』2011年1月号
  12. ^ אדני
  13. ^ אדני(Lord)-Genesis 15:8
  14. ^ אדני(my master)-Genesis 24:35,אדני(my master's)-Genesis 24:36,אדני(is my master)-Genesis 24:65
  15. ^ 『中公バックス 世界の名著 13 聖書』(ISBN 978-4-12-400623-0)
  16. ^ 『ウソかホントかわからない やりすぎ都市伝説スペシャル2012春』2012年4月6日()午後8時54分〜午後22時48分テレビ東京にて放送
  17. ^ この訳は映像中に2回繰り返されたが、はじめは「ヤーハウェは」の部分を含めて字幕とともに語られ、つぎにその部分のない字幕がカタカナの原詞とともに表示された。
  18. ^ 放送後も複数の動画サイトに録画がアップロードされていることを確認できる。
  19. ^ 宗教年鑑平成24年版』文化庁編 p.123(PDFのページ数ではp.139)
  20. ^ エホバの証人記者クラブ (エホバの証人個人) 『エホバの証人報道の際の注意点』、2004年7月1日更新
  21. ^ ものみの塔聖書冊子協会 (エホバの証人) 「参照資料付き新世界訳聖書付録1ニ クリスチャン・ギリシャ語聖書中の神のみ名」、1985年
  22. ^ 正木 弥神のみ名」『新世界訳聖書は改ざん聖書』びぶりや書房(現ビブリア書房)、2007年11月

参考文献[編集]

関連項目[編集]