モーゼス・ハイム・ルッツァット

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モーゼス・ハイム・ルッツァットモーシェ・ハイム・ルッツァットMoshe Chaim (Moses Chaim, Moses Hayyim) Luzzatto (Luzzato), משה חיים לוצאטו, מֹשֶׁה חַיִּים לוּצָאטוֹ, 1707年 - 1746年5月16日ユダヤ暦5506年イーヤールの26日))はイタリア出身のラビ哲学者、神秘思想家で、略称はラムハル RaMChaL。 文学「メシッラト・イェシャーリーム מְסִלַּת יְשָׁרִים Mesillat Yesharim 「まっすぐな道、敬虔者の道」 (1740年)」によって最も知られている。これはキリスト教文学におけるジョン・バニヤンの「天路歴程」に対応するとも言われている。

パドヴァアシュケナジムの家庭に生まれ、ユダヤ教教育とイタリアの教育を受け、またパドヴァ大学でも学び、イタリア人学生のグループと交際し、神秘主義化学を少し学んだ。 ミクラータルムードハラーハーの注釈書とミツワーに非常に通じた専門家であった。

1753年アムステルダムを離れ、聖地イスラエルの地に帰還し、アッコーに住む。3年後、彼と一家は伝染病によって亡くなった。

ミスナグディームであるヴィルナのガオン Vilna Gaon はルッツァットの作品をよく読んだ。また、メゼリッチのドヴベル Dovber of Mezeritch は、彼をハーシード(cf.ハシディズム)と呼んでいる。

彼の作品はスペインのユダヤ系詩人と、イタリアの作家の影響下にある。

ラビ・イスラエル・リプキン・サランテル Yisrael Salanter はメシッラト・イェシャーリームをムーサール運動の中心におくことにした。

ハスカーラーヘブライ語著作家は、現代ヘブライ語文学の創始者の一人と呼んだ。 学者はルッツァットの墓はケファール・ヤシーフ Kfar Yassif にあり、伝統的にはティベリアタンナーアキバ・ベン・ヨセフの近くにあるとされる。 彼が建て祈ったシナゴーグはアッコーに現存している。

著作[編集]

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