モンタルチーノ

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モンタルチーノ
Montalcino
モンタルチーノの風景
行政
イタリアの旗 イタリア
トスカーナ州の旗 トスカーナ
県/大都市 シエーナ
CAP(郵便番号) 53024, 53028
市外局番 0577
ISTATコード 052014
識別コード F402
分離集落 Camigliano, Castelnuovo dell'Abate, Montisi, San Giovanni d'Asso, Sant'Angelo in Colle, Sant'Angelo Scalo, Torrenieri
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 5,946 [1](2017-01-01)
人口密度 19 人/km2
文化
住民の呼称 montalcinesi / ilcinesi
守護聖人 Maria Santissima del Soccorso
祝祭日 5月8日
地理
座標 北緯43度3分0秒 東経11度29分0秒 / 北緯43.05000度 東経11.48333度 / 43.05000; 11.48333座標: 北緯43度3分0秒 東経11度29分0秒 / 北緯43.05000度 東経11.48333度 / 43.05000; 11.48333
標高 567 (71 - 661)[2] m
面積 309.98 [3] km2
モンタルチーノの位置(イタリア内)
モンタルチーノ
モンタルチーノの位置
シエーナ県におけるコムーネの領域
シエーナ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
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モンタルチーノMontalcino)は、イタリア共和国トスカーナ州シエーナ県にある、人口約5600人の基礎自治体コムーネ)。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ英語版というワインで有名。 2017年1月1日、サン・ジョヴァンニ・ダッソを編入した。

名称[編集]

この町の名はラテン語に由来し、かつてこの地域を覆っていたさまざまな種類のオークから採られている。すなわち、mons (山) と ilexトキワガシ)からの造語であり、「トキワガシの山」を意味する。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

シエナ県南部に位置するコムーネで、その領域はおおむね四角形状である。西と南はグロッセート県と接している。ピエンツァから西へ約16km、県都シエーナから南南東へ約32km、グロッセートから北東へ約45km、ペルージャから西へ約73km、州都フィレンツェから南南東へ約82kmの距離にある。

隣接コムーネ[編集]

気候[編集]

  • 気候区分 (it: zona E, 2308 GR/G

主要な集落[編集]

モンタルチーノの本村(人口約2000人)は、コムーネのほぼ中央部(やや北東寄り)に位置する。街の高所からは、アッソやオンブローネ、アルビア谷など、オリーブ園やブドウ畑、畑や村が点在するトスカーナ地方の雄大な眺めを見ることができる。また、丘の麓にはブドウ園やオリーブ園が広がっている。

コムーネ北東部にトッレニエリTorrenieri、約1200人)、南東部にカステルヌオーヴォ・デッラバーテCastelnuovo dell'Abate、約200人)、南部にサンタンジェロ・イン・コッレ(Sant'angelo In Colle、約150人)やスタツィオーネ・サンタンジェロ=チニジャーノ(Stazione Sant'angelo-cinigiano、約200人)の集落がある。

歴史[編集]

モンタルチーノが位置する丘は、おそらくはエトルリア時代には人々が定住していた。史料で初めてこの町が現れるのは814年のことである。この文書からは、9世紀にこの地に教会があり、付近のサンタンティモ修道院 (Abbey of Sant'Antimoの修道僧たちと関連があったことが示唆されている。街の人口は10世紀半ば、付近のロゼッレ (Rusellaeの街(現在はグロッセートの分離集落)から逃れてきた人々が移り住んだことによって急増した。

中世にこの町は皮革生産で知られており、高級な革から靴やその他の革製品を製造していた。時代が流れるにつれ、モンタルチーノを含めた高台の町々は経済的に衰退していく。トスカーナの多くの街がそうであるように、モンタルチーノは長い平和の時代を経験し、ささやかな繁栄を謳歌した。しかしながら、こうした繁栄はしばしば動乱によって中断した。中世後期、ローマとフランスとを結ぶ古い街道「ヴィア・フランチジェナ」 (Via Francigena沿いのこの街は、かなりの重要性を持った独立したコムーネであった。しかし、やがてより大きく野心的なシエーナ共和国の支配下に組み込まれていく。

1260年のモンタペルティの戦い (Battle of Montaperti以後、モンタルチーノはシエーナの衛星都市となったが、シエーナが巻き込まれたさまざまな抗争(とくに15~16世紀にはシエーナとフィレンツェの抗争)の巻き添えを受けることとなった。また、北部・中部イタリアの都市と同様、教皇派と皇帝派の争いにも巻き込まれた。

1555年、シエーナ共和国はメディチ家のフィレンツェ共和国によって征服される。モンタルチーノでは4年間にわたって強い抵抗が行われるが、最終的にはフィレンツェの膝下に屈した。その後、トスカーナ大公国1861年イタリア王国に編入されるまで、この町はフィレンツェの支配下に置かれた[4]

産業・経済[編集]

ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ

モンタルチーノでは、著名なワイン「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ英語版」の生産によって経済は成長している。このワインは、コムーネで栽培されるsangiovese grosso種のブドウから生産される。ワイン生産者の数は1960年代には11であったが、今日では200以上に増加しており、年間33万ケースの「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」が出荷されている。「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」は、保証つき統制原産地呼称(DOCG)の指定を受けた最初のワインであった。

ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは5年間の熟成を要するが、これに加えて6年を要するリゼルヴァワイン、sangiovese grossoでつくられ1年寝かせた「ロッソ・ディ・モンタルチーノ」(Rosso di Montalcino, DOC)、そのほかさまざまなトスカーナ・ワインが生産されている。

文化・観光[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]