モンタギュー・ノーマン

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モンタギュー・ノーマン

任期
1920 – 1944
前任者 Brien Cokayne
後任者 Thomas Catto

出生 1871年9月6日
ケンジントンロンドンイングランド
死亡 1950年2月4日(78歳)
Campden Hill, ロンドン、イングランド
国籍 イギリス

モンタギュー・ノーマン英語: Montagu Collet Norman, 1st Baron Norman、DSO(Distinguished Service Order、英軍殊勲章受章者)、男爵枢密顧問官1871年9月22日 - 1950年2月4日)は、イギリス銀行家。1921年から1944年の間イングランド銀行総裁を務めたことで知られる。イギリス経済史上もっとも厳しい時代にイングランド銀行を指導した。芝居がかった人物としても知られる。

前半生と軍務[編集]

ノーマンは父Frederick Henry Normanと母Lina Susan Penelope Colletの間に長男として生まれ、母方の祖父Mark Wilks Colletもまたイングランド銀行総裁であった。ノーマン家は銀行家一家として有名であり、弟Ronald Collet Norman および甥のMark Norman、又甥のDavid Normanもまた銀行家であった。イートン・カレッジで教育を受けた後、キングス・カレッジにも一年在学した。ベッドフォードシャーおよびハートフォードシャーで予備役に志願して第二次ボーア戦争で戦い、1901年には英軍殊勲章を授与された[1]

商業銀行[編集]

ヨーロッパで過ごした後、1892年には父がパートナーであったマーティン銀行に勤め、1894年には母方の祖父がパートナーであったブラウン・シプリーに移り、1895年にはニューヨークのブラウン・ブラザースに勤めた。南アフリカ共和国に行く前の1900年にはブラウン・シプリーのパートナーになり、1915年には退職した。

イングランド銀行[編集]

1907年にはイングランド銀行の理事となり、第一次世界大戦中には副総裁のアドバイザーとなった。1917年に副総裁となり、1920年には総裁となった。ノーマンの指導のもとで、イングランド銀行は大きく変革された。ニューヨーク連邦準備銀行初代総裁のベンジャミン・ストロングとは個人的な信頼関係を築き、第一次世界大戦後の国際金融の再建に努力した。1931年には、イギリスは金本位制を離脱し、保有する外貨と金準備は大蔵省に移された。

ノーマンは、 アドルフ・ヒットラーナチスの支持者であり、ナチス政権下ではライヒスバンク総裁と経済相を務めたヒャルマル・シャハトの親しい友人であった。シャハトはヒットラーの政策を実現する上で重要な役割を果たした人物で、ノーマンはシャハト家と親しく、シャハトの孫の名付け親ともなった[2]。二人ともイギリス-ドイツ連盟英語版および国際決済銀行の一員であった。

チェコスロバキアが国際決済銀行の口座に保有していた金を、ドイツのライヒスバンクが動かしていた口座に移動した件を承認したと言われている。10日以内に、金は他の複数の口座に移動した。第二次世界大戦がはじまった二ヶ月後の1939年の秋にも、ノーマンはチェコスロバキアの金をヒットラーのドイツに移動することを支持している。イギリス政府はこれを止めようと介入した[3]。1944年に、ノーマンはイングランド銀行から引退した。

叙勲[編集]

引退後、ノーマンはケント州のセント・クレールの男爵に任じられた。DSO(英軍殊勲章)に加え、1923年にはPC(枢密顧問官)とされた。

私生活[編集]

1933年に、61歳のノーマンは34才のプリシラ・ワーソーンと結婚した。この結婚で二人の義理の息子は得たが、実子は生まれなかった。1950年に脳梗塞で死去した。

脚注[編集]

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  1. ^ London Gazette: no. 27359, p. 6326, 1901年9月27日. 2009年11月28日閲覧。
  2. ^ Forbes, Neil (2000), "Doing Business with the Nazis"
  3. ^ Blaazer, David (2005). “Finance and the End of Appeasement: The Bank of England, the National Government and the Czech Gold”. Journal of Contemporary History 40 (1): 25–39. doi:10.1177/0022009405049264. 

関連文献[編集]

  • ライアカット・アハメド “世界恐慌”

外部リンク[編集]