モンゴル国の国際関係

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モンゴル国の国際関係(もんごるこくのこくさいかんけい)は、他の国々への外交関係を説明するページ。

目次

[編集] 現在の外交関係

[編集] ロシア

モンゴル人民共和国時代は、「ソ連の16番目の共和国」と呼ばれるほどソ連との関係が緊密であった。ソ連のインターコスモス計画に基づき、ソ連の宇宙船ソユーズにモンゴル人宇宙飛行士がアジア人として二番目に乗り組んだこともあり、1942年キリル文字採用は言うに及ばず、現代生活のほとんどすべての面にわたってソ連とロシアの習慣が普及している。

[編集] 中国

1988年11月には、両国の国境問題処理に関する条約が調印され、さらに中国・モンゴル領事条約が結ばれた。両国間国民の居住や旅行などに関する同条約は、87年1月に発効。

同年、夏季の北京―ウランバートル間の定期便がモンゴル航空により運航されるようになった。そして、中国側が非難してきたモンゴル駐留ソ連軍の一部が、87年4月に撤兵した。

1989年5月の中ソ首脳会談開催と同時に、5万数千人と推定されたソ連軍のモンゴルからの本格撤兵が始まり、92年9月には全面撤兵した。

1990年5月にはP.オチルバト人民大会幹部会議長らが訪中。

同年6月には、ウランバートルと中国・内モンゴル自治区のフフホトとの間に、週1往復の直通国際列車が開設された。

1991年8月には中国の国家元首の初訪問として、楊尚昆国家主席が訪蒙。

1994年4月には李鵬が中国首相としては34年ぶりに訪蒙し、ジヤスライ首相との会談で友好関係協力条約が調印された。

同年9月には、亡命中のチベット指導者ダライ・ラマが92年に次いで訪蒙。

1996年6月、モンゴルは中国、ロシアとの3カ国間で東西の国境を画定した。

99年7月には江沢民主席が訪蒙してバガバンディ大統領と会談、善隣友好関係の確立に合意。

2000年11月には、ロシアのプーチン大統領が訪蒙。

2003年6月には中国の胡錦涛国家主席が就任早々に訪蒙、最大の貿易相手国として経済技術協力協定を結んだが、一方では民進党政権下の台湾とモンゴルとの接近も目立っている。

2009年10月27日モンゴルの最高権力機関である国民大会議のガバア・バトクフ副議長が中国を訪問し、両国と両国民に利益をもたらすために、協力を強化し、善隣信頼パートナー関係の発展を推進することで合意した。

中国に対して敵対心があり、中華民国期には革命軍を称する軍隊などが、モンゴル人の居住地域で略奪を行う例が多かった。その為、モンゴル語には「ガミン(=革命)」が、「野盗」、「山賊」を意味する語彙として残っている[1]


2005年末、「ダヤル・モンゴル運動(汎モンゴル運動)」と名乗る団体が中国系のスーパーホテルを襲撃した。店主たちは襲撃を避ける為に、看板を自主的に塗り替え、それが社会的に容認されている[2]

モンゴルが産出する鉱物の半分以上が中国へ輸出されている。また、カシミヤの原毛も中国へ輸出されている。その為、モンゴルは中国の製造業の原料供給基地化している。

モンゴルの極右勢力が極端な反中国・反中国人運動を展開している。代表的な極右団体としては「フフ・モンゴル」などがあり、構成員は数千人とされるが、人口270万人のモンゴルでは相当な人数である[3]

モンゴルでは、3団体が極右団体に指定され、これらの極右団体が掲げる第1の敵は中国であり、経済文化などあらゆる面で外国の影響を拒絶している[4]。鉱山開発や建設事業で中国の影響力が増したことも、モンゴルの排外的民族主義を強める一因だと指摘する専門家もいる[4]。200年にわたって満州族に支配された歴史をもつモンゴル人の中には、中国マネーがもたらす新たな繁栄への期待よりも、中国の野心に対する警戒心のほうが強いという見方もある[4]。モンゴル科学アカデミー国際研究所のショルフー・ドルジは、「モンゴルに来る外国人、主に中国人の違法行為に対する彼らの自警団的活動は、モンゴル全体の支持を得る可能性がある。それこそ真の脅威だ」と指摘している[4]

アメリカ国務省は2010年の春以降、モンゴルで「外国籍の人間に対する拝外主義的襲撃事件が増加している」との渡航情報を出している[4]。また、アメリカ国務省のウェブサイトは「こうした国粋主義団体は、アジア系アメリカ人を中国人だと誤解し、突然襲撃することが多い」と注意を呼び掛けている[4]

外務省も海外安全ホームページのモンゴルに関する安全対策基本データで、「歴史的背景から中国人に対するモンゴル人一般の潜在的な感情には複雑なものがあります。街頭で日本人が他の外国人と間違えられてモンゴル人に殴られた事件やトラブルも時折発生しています」と注意を呼び掛けている[5]

モンゴル語で中国は「ヒャタッド」だが、俗語では中国人を「ホジャ」という蔑称で呼ぶという[6]

[編集] 韓国・北朝鮮

朝鮮半島に対しては、社会主義時代は「朝鮮」イコール北朝鮮であったが、1990年大韓民国との外交関係を樹立した。現在では、韓国の存在はモンゴル経済にとって不可欠なものとなるまで緊密な結びつきを有している。ウランバートル市内を走る自動車の多くは韓国製であるほか、在留韓国人の数も人口比で在留日本人の倍以上あり、大規模な韓国系スーパーも進出している。また、韓国で不法就労するモンゴル人がいる。

北朝鮮との国交は維持されており、南北等距離外交を標榜しつつ南北双方に大使館を設置している。な

モンゴル経由の脱北者が激増しているが、モンゴル政府はこれを逮捕し、強制送還する姿勢は示していない。また、ウランバートル市内に増加している韓国資本のマンション建設現場では北朝鮮政府派遣の労働者が働いている。

鉱業と並んで、モンゴル経済を支えているのは外国への出稼ぎ労働者からの送金である。非公式ルートからの送金を含めると、モンゴルのGDPの10%以上が出稼ぎ労働者からの送金と見積もられる。モンゴル人の最大の出稼ぎ先は韓国である。2007年現在で、韓国には公式統計で2万5000人のモンゴル人が住んでいる。これはモンゴルの総人口の約1%にあたる。国の総人口の半数は20歳以下と60歳以上であるから、韓国にはモンゴルの労働人口の2%が住んでいる。韓国で働くモンゴル人の約4割が正規の雇用契約がない状態で働いており、その為、劣悪な条件で働かされ、勤務中の怪我や死亡事故に対する補償がない事もある。このようなケースはモンゴルの新聞に悲劇的に掲載される。また、韓国は大企業から零細企業まで、モンゴルで事業を行っている。2005年末の統計では、旅行者以外で、モンゴルに長期滞在している韓国人は2000人以上いる。これは同様にモンゴルに長期滞在している日本人の約7倍にあたる。ダヤル・モンゴル運動などの極右団体が中国に加え、韓国を排斥の対象にしているのは、韓国とモンゴルの急激な関係拡大と深化がある。[2]

アメリカ国務省は2010年の春以降、モンゴルで「外国籍の人間に対する拝外主義的襲撃事件が増加している」との渡航情報を出している[4]。また、アメリカ国務省のウェブサイトは「こうした国粋主義団体は、アジア系アメリカ人を中国人だと誤解し、突然襲撃することが多い」と注意を呼び掛けている[4]

[編集] 日本

日本との外交関係樹立は1972年だが、社会主義時代は冷戦構造とソ連の影響下にあって密接な関係をもつことはなく、本格的な交流強化は1990年の社会主義崩壊を待たなければならなかった。ソ連が手を引いた後、操業できなくなる事業所が続出し、食糧緊急支援対象国に指定されたことから、日本の多くのNGOがモンゴルに赴いたほか、日本政府は緊急支援を含む多額のODAを供与し、深刻な経済危機を救った。社会主義時代の反日教育にもかかわらず、伝統的にモンゴル人の対日イメージは良好で、モンゴルは日本にとって北東アジアの安全保障のためにきわめて重要なパートナーとなっている。

2004年11月に在モンゴル日本国大使館が実施した世論調査では、「日本に親しみを感じる」と答えた回答が7割を超えたほか、「最も親しくすべき国」として第1位になるなど、現在のモンゴル国はきわめて良好な対日感情を有する国となっている。

2005年に大統領に当選したエンフバヤル元首相は親日家として知られている。

2006年には新任のエンフボルト首相が来日し、4月から12月まで日本人がモンゴルに渡航する際、ビザを不要にすると首脳会談で表明した。

2010年4月1日より、日本国籍者は滞在日数が30日以内の場合、ビザが免除されることになった。

[編集] 脚注

  1. ^ Searchina 2009年7月21日 モンゴルの極右勢力が過激な「反中」運動を展開―中国紙
  2. ^ a b週刊エコノミスト』2007年10月16日 前川愛「朝青龍問題 ナショナリズム高揚の反映 現代のモンゴルを読み解く」
  3. ^ Searchina 2009年7月21日 モンゴルの極右勢力が過激な「反中」運動を展開―中国紙
  4. ^ a b c d e f g h 極右化するモンゴルの反中感情、強まる警戒感AFPBB News』2010年9月1日
  5. ^ [1]
  6. ^ 中国とモンゴル:中国を毛嫌いするモンゴル人JBpress 2011.03.18
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