モブージュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Maubeuge


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オー=ド=フランス地域圏
(département) ノール県
(arrondissement) アヴェーヌ=シュル=エルプ郡
小郡 (canton) 2小郡庁所在地
INSEEコード 59392
郵便番号 59600
市長任期 レミ・ポヴロ
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Agglomération Maubeuge Val de Sambre
人口動態
人口 31 970人
2009年[1]
人口密度 1 734.7人/km2
住民の呼称 Maubeugeoises, Maubeugeois
地理
座標 北緯50度16分39秒 東経3度58分24秒 / 北緯50.2775度 東経03.9734度 / 50.2775; 03.9734座標: 北緯50度16分39秒 東経3度58分24秒 / 北緯50.2775度 東経03.9734度 / 50.2775; 03.9734
標高 平均:m
最低:122m
最高:167 m
面積 18.85km2 (1885ha)
Maubeugeの位置(フランス内)
Maubeuge
Maubeuge
公式サイト http://www.ville-maubeuge.fr
テンプレートを表示

モブージュMaubeuge)は、フランスオー=ド=フランス地域圏ノール県コミューン。製鉄業を中心とした工業都市[2]

地理[編集]

県南東部、エノーのコンテに位置する。ヴァランシエンヌの南東、シャルルロワリエージュの北東にある。サンブル川が流れる。ベルギー国境はまちの北約7km地点である。ボリナージュ炭田に近接する。最寄の大都市はベルギーのモンスである。パリより北北東に231km[2]

交通[編集]

  • 道路 - 国道49号線、2号線。
  • 鉄道 - TERノール=パ・ド・カレー線、モブージュ駅。

他に市バス、サンブル川運河がある。

歴史[編集]

モブージュ城砦跡

最初に地名が登場するのは256年頃、フランク族がサンブル川とムーズ川の谷へ侵入したときである。彼らは Boden と呼ばれる場所に Mahal という毎年行われる陪審裁判所を維持し、最終的には Malboden という名の集会に機能を渡した。モブージュの名は、中世の古称 Malbodium (マルボディウム)からきている[2]。これは661年頃にモブージュに修道院を建てた聖アルドゴンドに由来する[3]

エノー伯ブルゴーニュ公ハプスブルク家の支配に置かれたのち、モブージュがフランス王国に併合されたのは1678年のナイメーヘンの和約によってであった[2]。1679年、ルイ14世ヴォーバンに命じて城塞をつくらせた。この事業のため、周辺地域やイタリアから労働者8000人が集められ、8年で城壁と、往来可能な2つの門が完成した。

17世紀のモブージュは穏やかな時代を過ごすが、フランス革命戦争とナポレオン戦争でその平穏は破られた。1793年、フリードリヒ・ヨジアス・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルトが指揮するオーストリア軍がモブージュを攻撃した。1813年にナポレオン軍がライプツィヒで敗退すると、大同盟軍がフランスへ侵攻、ザクセン=ヴァイマル公軍の攻撃を受けたモブージュ城塞は1814年に包囲戦に勝利している。百日天下の際、ナポレオン軍はモブージュ近郊でワーテルローの戦いに備えて陣を張っていた。ワーテルロー後、モブージュはプロイセン軍に占領され、以降3年間プロイセン軍とロシア軍が駐留した。

産業革命が始まると、シャルルロワで採れる石炭を運ぶサンブル川運河沿いは発展する。1837年以降、高炉や圧延機が川の近くに設置された。1853年、パリ-シャルルロワ間の鉄道路線が開通。ロレーヌとヴァランシエンヌで採れる鉄鉱石によって、間違いなくサンブル川流域の経済が強化された。第一次世界大戦の1914年にはドイツの占領も受けた[2]

1940年5月、侵攻してきたドイツ軍は焼夷弾でモブージュの旧市街を焼いた。モブージュ市街の90%が失われた。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
27 214 32 028 35 399 36 061 34 989 33 561 32 699

参照元:1968年以降Insee[4][5][6]

姉妹都市[編集]

出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Populations légales 2009 de la commune Maubeuge sur le site de l'INSEE
  2. ^ a b c d e 三省堂編修所 編『コンサイス 外国地名事典』(3版)三省堂、1998年、1032頁。ISBN 4-385-15338-8 
  3. ^ Une autre alternative, formulée plus récemment, évoque le ruisseau de la Pisselotte, qui se jette dans la Sambre, dont le premier nom aurait été Maubiguel.
  4. ^ "Évolution et structure de la population (de 1968 à 2007)" (PDF). Insee. 2010年7月30日閲覧
  5. ^ "Recensement de la population au 1er janvier 2006". Insee. 2010年7月30日閲覧
  6. ^ "Recensement de la population au 1er janvier 2009". Insee. 2012年1月7日閲覧