モフセン・レザーイー

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イランの旗 イランの政治家
モフセン・レザーイー・ミールガーエド
ペルシア語: محسن رضایی میرقائد
Rezaee.JPG
生年月日 1954年9月9日
出生地 イランの旗 イランフーゼスターン州
マスジェデ・ソレイマーン
出身校 イラン科学技術大学
テヘラン大学
前職 イスラム革命防衛隊司令官
現職 公益判別会議書記

公益判別会議書記
当選回数 3
任期 2007年2月27日 -
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モフセン・レザーイー・ミールガーエド英語: Mohsen Rezaee Mirgha'edペルシア語: محسن رضایی میرقائد‎、 1954年9月9日 - )はイラン政治家経済学者・元イスラム革命防衛隊司令官である。現在は公益判別会議書記を務めている。彼はイランの少数民族であるアラブ人に属する。

2009年イラン大統領選挙では保守派として出馬した。

経歴[編集]

1954年9月、イランフーゼスターン州マスジェデ・ソレイマーンに生まれる。その後、名門イラン科学技術大学に入学、機械工学を専攻する。イラン・イラク戦争後、首都テヘランにあるテヘラン大学に入学し、経済学の博士号を取得した。

1981年には27歳にしてイスラム革命防衛隊(AGIR)司令官となり、1997年まで指揮官を歴任した。同年には公益判別会議評議員となった。その後書記を務めている。

モフセンはテヘランにイマームホセイン大学を設立し、教授として授業を行っている。

2013年のイラン大統領選挙に独立系として立候補したが、3,884,412票で4位に終わり落選した[1]

AMIA爆破事件への関与[編集]

1994年7月18日アルゼンチンブエノスアイレスで起きたイスラエル人相互協会(AMIA)での爆破事件の関与が疑われており、事件の犯人は未だに見つかっていない。

2006年11月、アルゼンチン側はAMIA爆破事件に関与したとしてイラン人レバノン人計6名の国際逮捕状を発行している。ユダヤ系人への爆破テロは1992年にも起きており、連続爆破事件の疑いが強いとされている。

目撃証言としては、モフセンの息子がアルゼンチンに滞在しており、実行犯とみられるレバノン人と同伴していたとの証言がある。また、ユダヤ人への爆破テロはイラン首都テヘランで計画されており、イラン当局が把握していた。

私生活[編集]

モフセンの父親の名はナジャフと言い、モフセン自身は現在5人の子供、2人の息子、3人の娘の父となっている。モフセンの息子・アフマドは、2011年11月、ドバイのホテルで死亡しているのが発見された。自殺とみられている[2]

モフセンはアメリカ合衆国及びヨーロッパ連合加入国に出国するのが制限されている。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]