メル・ファーラー
| Mel Ferrer メル・ファーラー |
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『リリー』(1953)予告編 |
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| 本名 | Melchor Gaston Ferrer |
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| 生年月日 | 1917年8月25日 |
| 没年月日 | 2008年6月2日(満90歳没) |
| 出生地 | ニュージャージー州エルベロン |
| 国籍 | |
| 職業 | 俳優、映画監督、映画プロデューサー |
| 活動期間 | 1937年 - 1998年 |
| 配偶者 | フランセス・ピルチャード (1937-1939) バーバラ・C・トリップス (m.1940) フランセス・ピルチャード (m.1944) オードリー・ヘプバーン (1954-1968) エリザベス・スコーティン (1971-) |
| 家族 | ペパ・フィリッパ(娘) マーク・ヤング(息子) メラ(娘) クリストファー(息子) ショーン(息子) |
メル・ファーラー(Mel Ferrer、本名:Melchor Gaston Ferrer[1] 、1917年8月25日 - 2008年6月2日)はアメリカの俳優、映画監督、プロデューサー。ニュージャージー州エルベロン出身。オードリー・ヘプバーンは元妻。メル・フェラーと書かれている場合もある。
目次 |
[編集] 来歴
プリンストン大学在学中から、夏はマサチューセッツ州デニスの劇団ケイプ・コッド・プレイハウスに参加。その後はヴァーモント州で出版社に勤めていた。プレイハウスで主役をつとめるまでになってからは出版社を退社し、ブロードウェイに進出する。数々の舞台を経験後、さらに地方の放送局に見習いとして入って、DJなどを担当後、NBCのプロデューサー兼ディレクターとなる。1945年に映画入り、当初はダイアログ・ディレクターとしてコロムビア社と契約。俳優としても映画に出演した後、再びブロードウェイに戻るなど、舞台や映画に俳優として活躍し、1950年の『狙われた結婚』で監督にも進出した。1960年代はヨーロッパでの活躍が多くなり、低予算映画の出演がほとんどとなった。
結婚は5度。1937年に小説家のフランセス・ピルチャードと結婚し一男を儲けるが離婚。1940年に彫刻家のバーバラ・C・トリップスと結婚、二男一女を儲けるが離婚。1942年に再びフランセス・ピルチャードと結婚。4度目は女優のオードリー・ヘプバーンと1954年のブロードウェイの舞台『オンディーヌ』共演後に結婚。共演作に1956年の『戦争と平和』、監督作に1959年の『緑の館』、プロデュース作に1967年の『暗くなるまで待って』など夫婦一緒の仕事も多かったが、1960年に子どもを儲けたのち、1967年に別居、翌年には離婚した。原因は彼の派手な女性関係だといわれている。1971年にエリザベス・スコーティンと結婚。1980年代後半以降は公に姿を見せることがほとんどなかった。但し、1993年に元妻であるオードリー・ヘプバーンが死去した際には彼女の葬儀に訪れており、公式には1998年まで芸能界に籍を置いていた。2008年にカリフォルニア州サンタバーバラ郊外の自宅で死去。死去の半年ほど前から療養所と自宅を往復していたという。死因は未公表。
[編集] 主な出演作品
- 無頼の谷(1952年)
- リリー(1953年)
- 戦争と平和 - War and Peace(1956年)
- 陽はまた昇る(1957年)
- 血とバラ(1960年)
- 史上最大の作戦 -The Longest Day (1962)
- ブラニガン(1975年)
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- メル・ファーラー - インターネット・ムービー・データベース(英語)