メルセデス・パス

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メルセデス・パス
Mercedes Paz
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
出身地 同・トゥクマン
生年月日 (1966-06-27) 1966年6月27日(57歳)
身長 178cm
体重 74kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1984年
引退年 1998年
ツアー通算 25勝
シングルス 3勝
ダブルス 22勝
生涯通算成績 665勝524敗
シングルス 280勝279敗
ダブルス 385勝245敗
生涯獲得賞金 1,163,693 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 1回戦
全仏 4回戦(1986・90)
全英 2回戦(1994・96)
全米 2回戦(1985・87・88)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(1991・92)
全仏 ベスト4(1991)
全英 ベスト8(1990)
全米 ベスト4(1991)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 28位
ダブルス 12位

メルセデス・パスMercedes Paz, 1966年6月27日 - )は、アルゼンチントゥクマン出身の元女子プロテニス選手。1997年全米オープン混合ダブルスで、同じアルゼンチンのパブロ・アルバノとペアを組んで準優勝した。彼女はキャリアを通じてダブルスに優れ、WTAツアーでシングルス3勝、ダブルス23勝を挙げた。パスはアルゼンチンの女子プロテニス選手として、ガブリエラ・サバティーニパトリシア・タラビーニなどと同世代に位置している。

パスは11人きょうだいの末っ子として、トゥクマン市内でも最大規模の砂糖きび農園の家庭に生まれ、6歳からテニスを始めた。1984年に18歳でプロ入りし、同年10月に日本の「ボーデン・クラシック」(現在は廃止されたトーナメント)で女子ツアー大会のダブルス初優勝を果たす。1985年全仏オープン4大大会にデビューし、この年から女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップアルゼンチン代表選手になる。1986年全仏オープンカーリン・バセットカナダ)との4回戦に進出。1988年、パスはソウル五輪アルゼンチン代表として参加資格を得たが、シングルス2回戦・ダブルス1回戦敗退に終わった。オリンピック終了後、1988年11月の「ブラジル・オープン」でシングルス初優勝を達成。1989年の女子ツアーで、彼女は自己最高のダブルス年間5勝を記録した。

パスが世界的な知名度を獲得したのは、1990年全仏オープンの出来事だった。この大会の2回戦で、彼女は大会前年優勝者だった第3シードのアランチャ・サンチェス・ビカリオを 7-5, 3-6, 6-1 で破る勝利を挙げた。4年ぶり2度目の4回戦では、当時14歳2ヶ月のジェニファー・カプリアティに 0-6, 3-6 で完敗した。カプリアティは1990年3月に13歳11ヶ月でプロ入りを認められ、この全仏オープンが4大大会デビュー戦で、いきなりモニカ・セレシュとの準決勝に進出して“天才少女”と呼ばれた選手である。前年優勝者を2回戦で倒したアルゼンチン人選手は、4回戦で天才少女の前に屈した。全仏2回戦で当たる前から、パスとサンチェスはダブルスでペアを組む機会が増え、4月後半に3週連続優勝を達成している。2人は全仏オープンとウィンブルドンの女子ダブルスで、2大会連続のベスト8に入り、女子ツアー年間最終戦のバージニア・スリムズ選手権でダブルス準優勝も記録した。パスとサンチェスの最終戦優勝を阻止した相手は、強豪のキャシー・ジョーダンアメリカ)&エリザベス・スマイリーオーストラリア)組であった。

1991年、彼女は全仏オープン全米オープンの2大会で女子ダブルス準決勝に進出した。パートナーは全仏がガブリエラ・サバティーニで、全米オープンはレイラ・メスヒ(当時ソ連)であった。1992年バルセロナ五輪で2度目のオリンピック出場を果たし、シングルスは1回戦で敗退したが、パトリシア・タラビーニと組んだダブルスでベスト8に入る。しかし、パスがデビュー年の1984年から1991年まで「8年連続」で続けてきた女子ツアーダブルス連続優勝記録が、1992年にいったん途絶えてしまう。

1997年全米オープンで、メルセデス・パスは同じアルゼンチンパブロ・アルバノとペアを組み、混合ダブルスで準優勝した。パスとアルバノは、決勝でリック・リーチアメリカ)&マノン・ボーラグラフオランダ)組と最終第3セットのタイブレークまで戦ったが、最後は 6-3, 5-7, 6-7 (タイブレーク 3-7)で敗れて優勝を逃した。全米混合準優勝の翌年、1998年9月末に故郷のアルゼンチン・トゥクマンで行われたトーナメントを最後に、パスは32歳で現役を引退した。最後のシングルスは2回戦で敗退したが、パトリシア・タラビーニと組んだダブルスで優勝を飾り、彼女は故郷でのダブルス優勝で選手生活を終えた。

参考文献[編集]

  • WTAツアー公式メディア・ガイド、1996年版 (ツアーサイトから、大半の伝記情報が消滅したため)

外部リンク[編集]