メフメト・アブデュルアズィズ・オスマンオウル

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メフメト・アブデュルアズィズ
オスマン家
出生 1901年9月26日
Flag of the Ottoman Empire.svg オスマン帝国イスタンブルオルタキョイオルタキョイ宮殿
死去 1977年1月19日(満75歳没)
フランスの旗 フランスニース
配偶者 ベルケマル・イェゲン・ハヌム
子女 ヒュッレム・アブデュルアズィズ
父親 メフメト・セイフェディン・エフェンディ
母親 ネジェム・フェレク・ハヌム
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メフメト・アブデュルアズィズ・オスマンオウル(Mehmed Abdülaziz Osmanoğlu)は、オスマン帝国の帝家であったオスマン家の第40代家長で、帝位(パーディシャーおよびカリフ)請求者(請求期間:1973年 - 1977年)。

生涯[編集]

父はオスマン帝国第32代皇帝アブデュルアズィズとその第5夫人ゲヴヘリ・デルデュンジュ・カドゥン・エフェンディ(Gevheri Dördüncü Kadın Efendi)の間の息子で、オスマン帝国海軍の少将だったメフメト・セイフェディン・エフェンディMehmed Seyfeddin Efendi)皇子。母はその第1夫人でグルジア系のネジェム・フェレク・ハヌム(Necem Felek Hanım)である。1973年に死去したオスマン・フアトからオスマン家家長を引き継ぎ、名目上の皇帝「アブデュルアズィズ2世II. Abdülaziz)」を称したが、1977年に南仏のニースで死去した。

1929年2月21日カイロにおいて、エジプトのムハンマド・アリー王家の血を引くベルケマル・イェゲン・ハヌム(Berkemal Yegen Hanım)と結婚し、間に一人娘のヒュッレム・アブデュルアズィズ(1939年 - 1999年)をもうけた。

先代:
オスマン・フアト
オスマン家第40代家長
1973年 - 1977年
次代:
アリー・ヴァースブ