メイナード・ションバーグ (第3代ションバーグ公爵)

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第3代ションバーグ公メイナード・ションバーグ(Meinhardt Schomberg, 3rd Duke of Schomberg, KG, 1641年6月30日 - 1719年7月5日)は、イギリスの貴族・軍人。初代ションバーグ公フレデリック・ションバーグの長男でチャールズ・ションバーグの兄。

ドイツケルンで生まれ、父と共にポルトガル王政復古戦争を戦い、戦後父がフランスに帰化するとラ・ロシェルに定住、オランダ侵略戦争に従軍して1678年に元帥に昇進した。1685年フォンテーヌブローの勅令が発令、宗教問題でフランスから出国した父に従いブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの下へ移り、1689年イングランドへ移住、1690年に父が仕えたイングランド王兼オランダ総督ウィリアム3世から騎兵連隊隊長に任命され、ウィリアム3世に従軍してアイルランドへ出兵した(ウィリアマイト戦争)。

アイルランドで滞在していた父と合流して南下、ボイン川の戦いジェームズ2世ティアコネル伯ジャコバイトと交戦した。戦闘では左翼を守備していた父が敵に討ち取られたが、右翼を率いて戦場を右に迂回して敵を引き付けたおかげで勝利に貢献、父の爵位のうちメルトラ伯位を継承(ションバーグ公位は弟のチャールズが継承)、1691年にレンスター公に叙爵、イギリス軍総司令官に任じられた(同年に解任)[1]1693年にチャールズが大同盟戦争で戦死するとションバーグ公位も相続、1703年にガーター勲章を受勲した。同年にスペイン継承戦争スペイン遠征軍司令官に任命されポルトガルで待機していたが、成果を挙げられず翌1704年ゴールウェイ伯に交代した。

以後は1717年アクスブリッジ付近(現在のヒリンドン特別区)に狩猟小屋(ヒリンドン・ハウス)を建造したほかは目立った活動が無く、1719年に78歳で死去。息子のチャールズに先立たれたため爵位は全て消滅したが、娘フレデリカを通して子孫はチャールズ2世の子孫であるレノックス家及びスペンサー家と姻戚関係を結び、ダイアナ元妃及びチャールズ王太子との間に生まれたウィリアム王子ヘンリー王子に繋がっていった[2]

子女[編集]

1677年にバーバラ・ルイサ・リッツィと結婚したが子供は無かった。1682年プファルツ選帝侯カール1世ルートヴィヒの娘カロリーネ・エリーザベトと結婚、4人の子を儲けた。

  1. チャールズ・ルイス(1683年 - 1713年) - ハリッジ侯、早世
  2. キャロライン(1686年 - 1710年)
  3. フレデリカ(1688年 - 1751年) - ホルダーネス伯ロバート・ダルシーと結婚、フィッツウォルター伯ベンジャミン・マイルドメイと再婚
  4. メアリー(1692年 - 1762年) - デーゲンフェルト=シェーンベルク伯クリストフ・マルティン2世と結婚

脚注[編集]

  1. ^ 友清、P143 - P146、P158。
  2. ^ 森、P274 - P275。

参考文献[編集]

爵位
先代:
チャールズ・ションバーグ
ションバーグ公爵
1693年 - 1719年
次代:
消滅