メアリー・マーハー

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オリンピック
女子 競泳
1984 100mバタフライ
1984 200mバタフライ
1984 4×100mメドレーリレー
1988 200mバタフライ

メアリー・ターステッジ・マーハー・プラントMary Terstegge Meagher Plant, 1964年10月27日 - )はアメリカ合衆国競泳選手(バタフライ)である。

人物[編集]

ケンタッキー州ルイビルに生まれた彼女は、幼い年から水泳をはじめ、14歳となった1979年に、100mバタフライ(59.26)、200mバタフライ(2.09.77)で早くも世界記録を打ち立てている。その後、彼女は圧倒的な競技力により、次々と自らの世界記録を更新していくことから「マダムバタフライ」(蝶々夫人とかけられている)と呼ばれることとなる。

マーハーは1980年モスクワオリンピックにおいて金メダルを期待されていた。しかしながら、アメリカはアフガニスタンに侵攻したソビエト連邦に抗議するため、モスクワオリンピックに不参加を表明したのでそのチャンスが訪れることはなかった。

オリンピックに出場できなかったマーハーであったが、1981年の全米水泳選手権において歴史的な大記録を残すこととなる。その大会で、マーハーは100mバタフライで57.93、200mバタフライで2.05.96という驚異的な世界記録を達成する。この記録は、その後他の競泳種目の世界記録が次々と破られていく中、100mで1999年にアメリカのジェニー・トンプソン、200mで2000年オーストラリアスーザン・オニールに破られるまで、20年近く更新されなかった。マーハーの世界記録は、1968年メキシコオリンピック走幅跳ボブ・ビーモンの世界記録と並び称される世界記録と言われた。

1984年ロサンゼルスオリンピックでは、マーハーは100m、200mとメドレーリレーの3種目で金メダルを獲得する。東側諸国が不参加を表明した大会であったが、たとえ東ドイツソビエト連邦の選手が参加していたとしても、彼女の金メダルの獲得は揺るがなかっただろうといわれた。マーハーは1988年ソウルオリンピックにも出場し、200mバタフライでは銅メダルを獲得している。

エピソード[編集]

1993年に国際水泳殿堂入り表彰者に選ばれた。その際、同時に殿堂入りした日本長沢二郎バタフライドルフィンキック発明者だったことを知り、「ドルフィンキックの発明がなかったら、私はバタフライをやっていなかったし、世界記録も作れなかったでしょう。その意味で、今日、ここに一緒にいる長沢さんに感謝していますし、彼と共に表彰されるということは素晴らしいことです。」と挨拶した[要出典]

外部リンク[編集]