ムルデカ17805

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ムルデカ 17805
監督 藤由紀夫
脚本 石松愛弘
出演者 山田純大
保坂尚輝
榎木孝明
塚本耕司
阿南健治
音楽 国吉良一
撮影 戸澤潤一
編集 川島章正
製作会社 東京映像
配給 東宝
公開 日本の旗 2001年5月12日
上映時間 122分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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ムルデカ 17805』( - いちななはちれいご)は、2001年に公開された日本の戦争映画インドネシア独立戦争に関った日本兵を描いている。

概要[編集]

第二次世界大戦における日本の敗戦後、インドネシアの独立運動のために戦った日本人兵士のドラマ。日本の敗戦ととインドネシアの独立運動という重大な歴史の局面がふたつ重なり合い、その中で決断を求められた日本人兵士が描かれている。撮影にはインドネシア軍が全面協力し、迫力ある戦闘シーンが描かれた[1][2]。題名中の "ムルデカ(MERDEKA)" はインドネシア語で「独立」を意味し、"17805" は日本の皇紀2605年8月17日の数字を日、月、年の下二桁の順に並べたものである[3][4][5]

スタッフ[編集]


キャスト[編集]


製作の裏側[編集]

  • この映画は『プライド・運命の瞬間』に続き、東日本ハウスが手がけた戦争映画の第2弾である。『プライド・運命の瞬間』製作にあたって設立された子会社「東京映像制作株式会社」が製作した。しかし、この作品では前作『プライド・運命の瞬間』と比べて予算規模は縮小されている。
  • 当初は監督として長谷部安春の登板が予定されていたが、長谷部の体調不良により藤由紀夫に交代となった。
  • 試写会を見たプロトディニングラット駐日インドネシア大使は、「インドネシア人と日本人、特に若い世代の相互理解を育てることが期待されている」と、この映画の制作意図に理解を示した上で、インドネシアの歴史や習慣にそぐわない点があるとして、いくつかの「両国の摩擦を避けるために、ふさわしくない、度を超えている場面」の削除を求めた。その要請を請けて、それらの部分のうち、冒頭にあったインドネシアの年老いた女性が日本兵の足の甲に口づけをする場面が劇場公開前に削除された。その場面について、大使は「歴史の真実を反映していないだけでなく、インドネシア国民の威信を落とし、心を傷つけるものだ」と批判した。シャハリ・サキディン在日インドネシア大使館参事官は、映画では侵略者の足にインドネシア人が口づけしているがそんな歴史はなく、インドネシア人はこのシーンを見て怒りを感じるだろうからこのシーンの削除を要請したと述べ、またその部分の削除について制作会社は大変に協力的であったとして感謝の言葉を述べている。その他にも、インドネシア側は国歌「インドネシア・ラヤ」が歌われる場面などについて「習慣と違う」と指摘した[6]
  • 前売り券の大量引き受けを行ったにもかかわらず、興行的には失敗した[7]。この作品以降東日本ハウスは、本業の不調も重なったこともあって、映画製作から撤退した。子会社の東京映像制作株式会社もこの作品以降活動を停止した。

関連図書[編集]

※ 島崎中尉のモデルとなった柳川宗成中尉のインドネシア工作回想記。

脚注[編集]

  1. ^ ただし銃器の一部は戦後の製品、もしくは複製品となっている。またオランダ軍役で登場するインドネシア軍兵士が来ている軍装は近年のものである。完成披露試写会
  2. ^ 予告編
  3. ^ 映画「ムルデカ17805」の舞台(カリバタ英雄墓地=ジャカルタ)
  4. ^ 2000年に発行された新十万ルピア紙幣にも2605年の表記がある。映画サイト フライヤーズ・ノスタルジア
  5. ^ 独立運動指導者のスカルノハッタは、インドネシアの独立宣言文にこの日付を使用したが、これは日本軍政期は軍政当局によって皇紀を使用することが規定されていたためである。(信夫清三郎 『「太平洋戦争」と「もう一つの太平洋戦争」』、勁草書房、1988年、258頁。倉沢愛子 「解題」、インドネシア日本占領期史料フォーラム編『証言集 - 日本占領下のインドネシア - 』、龍渓書舎、1991年、755頁)
  6. ^ 映画「ムルデカ」にクレーム 駐日インドネシア大使「歴史に反し、国民の威信落とす」 制作者、一部シーンをカット じゃかるた新聞 2001年3月16日
  7. ^ 興行収入5億5000万円。同じ2001年に公開された邦画興行成績ランキング1位の『千と千尋の神隠し』は304億円、同3位で実写映画ではトップとなった『バトル・ロワイアル』は31億円だった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]