ミュージック・メイカーズ (エルガー)

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ミュージック・メイカーズ』(The Music Makers作品69は、エドワード・エルガーが作曲したコントラルトまたはメゾソプラノ合唱管弦楽のための作品。「我が友ニコラス・キルバーン」へ献呈された。初演は1912年10月1日に作曲者自身の指揮マリエル・フォスター独唱により、バーミンガム・トリエンナーレ音楽祭で行われた。

テクストはアーサー・オショーネシー英語版の『Ode』(1874年)から採られており、曲には詩の全文が用いられている。作曲は委嘱を受ける以前の1903年から断続的に行われていた。

楽曲構成[編集]

夢見る芸術家を讃えた詩文がエルガーの琴線に触れたことは疑いがない。1912年までにはイギリスの芸術界の一員となっていたエルガーであったが、よく見ても彼がこの社会に抱いていた感情は曖昧なものであった。『Ode』は冒頭より創造的な芸術家の孤独を描いており[1]、その雰囲気は明確である。

We are the music makers,
 And we are the dreamers of dreams,
Wandering by lone sea-breakers,
 And sitting by desolate streams...

我らは音楽を紡ぐ者
 そして我らは夢を紡ぐ者
ひとたび波が打ち寄せれば放浪し
 寂れた小川の淵に腰を下ろす...

後の節では所属する社会における芸術家の重要性が讃えられる。

音楽は大部分が内気で私的な雰囲気に彩られており、エルガーの複数の過去作品からの引用が行われている。引用の「入り」の部分には言葉が引き金となっているものもある。例えば、「dreams」という歌詞は『ゲロンティアスの夢』の主題を伴って現れ、「sea-breakers」は『海の絵』の冒頭によっている[1]。他にも交響曲第1番第2番ヴァイオリン協奏曲、『エニグマ変奏曲』の「ニムロッド」(第9変奏)、さらには『ルール・ブリタニア』や『ラ・マルセイエーズ』も引用される。

しかしながら、引用過多ということは決してなく、曲の大半は新たに創作されたものとなっている。また、エルガーはオショーネシーに多大な敬意を払っており、合唱と独唱の音色には優れた感覚を示している。

評価[編集]

曲は1912年のバーミンガム・トリエンナーレ音楽祭からの委嘱を受け、同音楽祭で初演された。当初、この作品への批判は音楽よりも詩へ向けられたものが多かったが、卑俗、内省的であるとして誹りも受けた[2]。この作品のを耳にする頻度、とりわけイングランド国外での演奏機会は多いとは言い難い。自作からの引用はリヒャルト・シュトラウスの『英雄の生涯』を想起させるものである。しかし、込められた意図は異なっており、エルガーは芸術家を英雄ではなく詩人として描いている。

脚注[編集]

出典

  1. ^ a b Booklet for 'Elgar: Sea Pictures & The Music Makers', CHAN 9022” (PDF). CHANDOS. 2014年7月6日閲覧。
  2. ^ Michael Kennedy (1968). Portrait of Elgar. Oxford University Press. ISBN 9780198163657 

外部リンク[編集]