ミヒャエル・ザイフェルト

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ミヒャエル・ザイフェルトMichael Seifert1924年3月16日 - 2010年11月6日)は、ナチス・ドイツ親衛隊(SS)の隊員。最終階級は親衛隊兵長(Rottenführer)。第二次世界大戦中、北イタリアボルツァーノの通過収容所で看守をしており、「ボルツァーノの野獣」と呼ばれた人物。

略歴[編集]

ウクライナのランダウ(Landau、現在のムィコラーイウ州シロコラニウカ英語版)にドイツ系住民の郵便局員の子として生まれる。しかし父は1933年にナチス協力者の疑いを掛けられて職を奪われた。その後、ザイフェルト一家はクリミア半島へ移住。1939年にはニコラーエフ(現ムィコラーイウ)へ移住した。ザイフェルトはここで車の修理工場で働くようになった。

1941年6月のナチス・ドイツのソ連侵攻後、アインザッツグルッペンに志願した。その後、SDの補助警官となった。1943年に正式に親衛隊(SS)の隊員となる。1944年12月から1945年4月にかけてイタリアのボルツァーノの経過収容所で看守となる。ここで殺人・レイプ・拷問などを行った。少なくとも18人は殺害したとされている。

戦後、カナダへ逃亡し、バンクーバーで生活した。1965年に結婚して息子を一人持った。

2008年2月15日、カナダからイタリアへ犯罪人引き渡しで身柄を送還され、サンタ・マリーア・カープア・ヴェーテレの刑務所に投獄されていた。

2010年11月6日、イタリアのカゼルタコムーネの病院にて死去[1]。86歳没。

脚註[編集]

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