ミハイル・マッソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ミハイル・エフゲニエヴィチ・マッソンロシア語: Михаил Евгеньевич Массонラテン文字:Mikhail Evgenievich Masson、1897年[1]12月5日-1986年)はサマルカンド出身のウズベキスタン考古学者である。マッソンは中央アジア考古学研究所の創設者兼教授である。最終学位は博士(歴史学、考古学)。トルクメン科学アカデミー英語版の会員でもあった。

1916年、マッソンは技師や灌漑農業者を目指すため、ペトログラード技術研究所において勉強を開始する。しかし、彼は軍隊に参加するよう要請され、1918年にサマルカンドに帰還する。彼はサマルカンドにある歴史的な建造物を保護し、保存することに関心を抱くようになり、その後すぐにサマルカンド州立博物館の館長に就任する。彼は考古学調査の指揮を執りはじめ、アフラシヤブから発掘されたサーマーニーの宮殿の備品を含む様々な考古学的に価値のある物を博物館の蒐集物に加えていった。

1924年、マッソンはタシュケントへと向かい、中央アジア博物館考古学部の部長に就任した。彼はさらにトルキスタン東洋学研究所英語版で教育を受け、1929年から1936年まで地質学委員会にて鉱業の歴史について研究した。

その後、彼はテルメズ考古学調査(1936年~1938年)を含む考古学調査を行った。行った調査の中には大フェルガナ運河建設の際の考古学調査(1936年)、STACE(南トルキスタン複合考古学調査、1946年~1968年)、そしてKAE(ケシュ考古学調査、1963年~)などがある。

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]