ミハイル・シーシキン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Michail Schischkin (3).jpg
Michail Schischkin.jpg
MichaelShishkin1201.JPG

ミハイル・パーヴロヴィチ・シーシキンМихаил Павлович Шишкин、Mikhail Pavlovich Shishkin、1961年1月18日-)はロシア出身スイス在住の作家。

彼は最高の現代ロシア語作家の一人と考えられている[1][2][3][4][5]

人物[編集]

1961年モスクワで誕生。モスクワ国立教育研究所で英語ドイツ語を学び、卒業後、掃除夫、道路作業員、ジャーナリスト教師、翻訳者として働いた。

短編小説「書道教室」で1993年『月刊Znamya』誌でデビュー。1995年以来チューリッヒ(スイス)に住む。

書籍は5年に1冊出るペース

シーシキンの本は10以上の言語に翻訳されている[6][7][8]

散文の普遍的なスタイルには「シーシキンの言語は素晴らしく明快で簡潔や。古風な響きがなければ、トルストイやドストエフスキーやプーシキンを越えるかもなあ」という称賛もあった。

あつかうテーマは死、復活、愛など。

アントン・チェーホフウラジーミル・ナボコフジェイムズ・ジョイスと比較された。チェーホフ、トルストイ、イヴァン・ブーニンの影響を受けたことを認めている。

「ブーニンは、妥協しないこと、自分自身を信じることを教えてくれた。チェーホフはヒューマニティーをつらぬき・・・完全にネガティブなキャラをテキストの中に描かなかった。トルストイからは、ナイーブであることを恐れないことを学びました」としている[9]

ウクライナ問題への視点[編集]

シーシキンは、2014年のロシアによるウクライナ併合問題について、日本の雑誌『すばる』2014年6月号に特別寄稿(奈倉有里訳)を寄せ、「プーチン政権下のロシア。連日ニュース番組で流されるのは、ウクライナの反戦運動を凶悪な暴動のように捉えたプロパガンダ的な視点の特集ばかりだ。しかもそこへ、昔から小話に登場するような、ウクライナ人を小馬鹿にしたイメージが加わるのだからたちが悪い」「戦争の目的はいつも、特定の政治体制の存続や繁栄でしかない」「尽きせぬ国境紛争ほど、独裁体制にとって都合のいいものはない」「気の遠くなるような人類歴史のなかで、いったい、"国を愛せ"という呼びかけの末に、どれほどの犠牲になっただろう。そして今、ロシア人が、ウクライナ人が、同じ犠牲のもとに立たされようとしている」とした。

賞と栄誉[編集]

  • 2000 ロシアのブッカー賞、
  • 2006 ビッグブック賞、
  • 2006 ナショナルベストセラー賞、
  • 2011 ビッグブック賞、
  • 2011 国際文学賞、(ドイツ語の翻訳)
  • 2013 ベスト翻訳された図書賞、ショートリスト、

フィクション作品[編集]

  • 「書道教室」、ショートストーリー(1993)
  • ある夜、すべて降りかかる / Всехожидаетоднаночь、小説(1993年)
  • ブラインドミュージシャン / Слепойのмузыкант、小説(1994年)
  • イズマイールの服用 / ВзятиеИзмаила、小説(1999年)
  • 保存された言語、ショートストーリー(2001)
  • イチョウ / ВенеринВолос、小説(2005年)
  • Pismovnik(「レターブック」)/ Письмовник、小説(2010年)
  • 『手紙』 (新潮クレスト・ブックス) ミハイル シーシキン、 奈倉有里訳 (2012/10/31)

ノンフィクション作品[編集]

  • ロシア/スイス / РусскаяШвейцария文学と歴史的なガイドブック(2000年)
  • モントルー- Missolunghi-Astapovo、バイロンやトルストイのステップで / モントルー·Missolunghi-Astapowo、アウフデン*Spurenフォン·バイロンウントTolstoj(2002)、ドイツ語でのエッセイ集、(2002) - グランプリ·デュ·最優秀リーヴルエトランゼ - 2005

参照[編集]

外部リンク[編集]