ミシェル・クワン

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オリンピック
フィギュアスケート
1998 女子シングル
2002 女子シングル
ミシェル・クワン
Michelle Kwan
2001/2002年GPファイナルでのクワン
基本情報
代表国: アメリカ合衆国
生年月日: 1980年7月7日(29歳)
出生地: カリフォルニア州トーランス
身長: 158 cm
元コーチ: フランク・キャロルラファエル・アルトゥニアン
元振付師: タチアナ・タラソワローリー・ニコルニコライ・モロゾフサラ・カワハラピーター・オペガードクリストファー・ディーンカレン・クワン
所属クラブ: ロサンゼルス FSC
ISU パーソナルベストスコア
トータルスコア: 175.20 2005 世界選手権
ショートプログラム: 61.22 2005 世界選手権
フリースケーティング: 113.98 2005 世界選手権

ミシェル・ウィング・クワン(Michelle Wing Kwan、関穎珊、1980年7月7日 - )は、カリフォルニア州ロサンゼルス出身の女性フィギュアスケート選手。中国系アメリカ人。1998年長野オリンピック女子シングル銀メダリスト。2002年ソルトレイクシティオリンピック女子シングル銅メダリスト。5度の世界フィギュアスケート選手権優勝、9度の全米フィギュアスケート選手権優勝。アメリカの国民的大スターでもある。2001年ジェームスサリバン賞受賞。

目次

[編集] 人物

  • 2006年にデンバー大学 (University of Denver)に入学、2009年6月に主専攻の国際関係学と副専攻の政治科学の学位を取得して卒業した。過去に名門であるカリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) に在籍していたこともある[1]
  • ファーストネームの「ミシェル」は、ビートルズの曲名から取られている。
  • フィギュアでの偉大な実績に加え人柄の良さでも有名であり、世界中でも彼女のことを慕う後輩スケーターは多い(キミー・マイズナーキャロライン・ジャンらは彼女を憧れとしている)。

[編集] 来歴

[編集] 1993 - 1998

1993-1994シーズン、幕張で開催された世界選手権に13歳で初出場し、8位入賞(リレハンメル五輪代表のケリガンハーディングが不出場のため、繰上げてのアメリカ代表となる)。

1994-1995シーズンの世界選手権、当時14歳のクワンは150cmの小さな少女だったが、ショートではミスの無い演技、フリーでも5種類7回の3回転と2アクセル2回成功させ完璧な演技をし4位入賞。

1995-1996シーズン、身長も158cmに成長したクワンは大人の魅力を前面に押し出した演技で、スケートアメリカスケートカナダISUグランプリファイナル全米選手権で優勝、続く世界選手権も制し、15歳で初の世界チャンピオンとなった。この世界選手権では陳露との一騎打ちとなり、先に滑った陳露が芸術点で満点である6.0点を2つ出し優勝間違いなしと思われていたが、クワンも満点を2つ出し、ショートで1位につけていたクワンの勝利となった。

1996-1997シーズン、スランプに陥っていたクワンの前に新星リピンスキーが登場する。3回転-3回転のコンビネーションを確実に成功させるリピンスキーに全敗、グランプリファイナル、全米選手権、世界選手権は全て2位に終わる。

1997-1998シーズン、クワンは右足首の怪我のため長期間の休養を余儀なくされ、オリンピックの選考会となる全米選手権の出場を危ぶまれたが、痛み止めの注射をして挑み、ショート・フリーとも完璧な演技でリピンスキーを破り2度目の優勝。長野オリンピックアメリカ代表に選出される。

長野オリンピックではクワンとリピンスキーの一騎打ちとなり、ショートでクワン1位、リピンスキーは2位につく。フリースケーティングでは5種類7回のジャンプを完璧に決め、技術点ではほぼ5.8、芸術点では全員一致で5.9という高得点を得て首位に立ったが、クワンの飛ばなかった3回転-3回転のコンビネーションを2つ成功させたリピンスキーに逆転され銀メダルに終わる。続く世界選手権では2度目の優勝を果たす。

[編集] 1998 - 2002

1998-1999シーズン、グランプリシリーズは全て辞退し、全米選手権で3度目の優勝、世界選手権は2位に終わる。

1999-2000シーズン、クワンは3回転-3回転を含むジャンプ偏重の構成でスケートカナダ、スケートアメリカ、全米選手権で4度目の優勝、世界選手権でも3度目の優勝を果たす。

2000-2001シーズン、スケートアメリカ、全米選手権で5度目の優勝、世界選手権でも2年連続4度目の優勝を果たす。

2001-2002シーズン、シーズンの初めに12年間コンビを組んできた名コーチ、フランク・キャロルとの師弟関係を解消(大親友ともいえる彼らの仲の深さはスケート界でも有名であったため、不仲説、方向性の相違など様々な憶測が囁かれたが、二人とも不仲説は完全否定)。スケートアメリカで優勝。スケートカナダでは2位、グランプリファイナルも2位に終わる。五輪選考となる全米選手権で6度目の優勝、ソルトレイクアメリカ代表に選出される。

ソルトレイクシティオリンピックでは、ショートプログラムで首位に立つも、フリースケーティングではジャンプのミスがあり3位、総合でも3位になり銅メダルを獲得。ソルトレイク後、引退が囁かれる中、現役続行を公言。

[編集] 2002 - 現在

2002-2003シーズン、スケートカナダで優勝、全米選手権で7度目の優勝、2003年世界選手権で2年ぶり5度目の優勝を果たす。

2003-2004シーズン、全米選手権で8度目の優勝、2004年世界選手権はショートはコーエン、荒川静香、安藤美姫に次いで4位、フリーは演技直前にリンクへカナダ人男性乱入のハプニングがあったにも関わらず、素晴らしい集中力を見せる。 最後のルッツジャンプがダブルになった以外はほぼノーミス、5人のジャッジから芸術点6.0の評価を受け、荒川に次ぐ2位となる。総合では3位。

2004-2005シーズン、全米選手権で8年連続9度目の優勝、2005年世界選手権では4位に終わる。

2006年トリノオリンピック出場権が決まる全米選手権を足の怪我のため欠場し、そのため米国フィギュアスケート連盟に嘆願、審査会で技を成功させたのと実績が考慮され、特例で五輪出場権を獲得。米国内のマスコミに叩かれながらも、開会式にも参加。しかしながら練習中に鼠径部の怪我が悪化、2月12日に記者会見で出場取り止めを発表した(代替出場はエミリー・ヒューズ)。

その後4月にアメリカでのアイスショーに久しぶり出演し存在をアピール、その際のインタビューで現役続行を示唆した。2006-2007シーズンは怪我、そして今シーズン2007-2008シーズンも足の手術後の回復と学業に専念のため、全試合を欠場することになった。

[編集] 主な戦績

大会/年 93-94 94-95 95-96 96-97 97-98 98-99 99-00 00-01 01-02 02-03 03-04 04-05 05-06
オリンピック 2 3 棄権
世界選手権 8 4 1 2 1 2 1 1 2 1 3 4
全米選手権 2 2 1 2 1 1 1 1 1 1 1 1
GPファイナル 1 2 2 2 2
GPスケートアメリカ 2 1 1 1 1 1 1 1
GPスケートカナダ 1 1 1 2 3
GPエリック杯 3 1
世界Jr.選手権 1

[編集] シニア

[編集] 脚注

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  1. ^ ミシェル・クワンがデンバー大学を卒業『AFP BB news』2009年06月04日更新
  2. ^ 2001/2002 ISUグランプリファイナルはフリー演技を2度行った。
  3. ^ 順位決定方法については2000/2001 ISUグランプリファイナルを参照のこと。
  4. ^ 順位決定方法については1999/2000 ISUグランプリファイナルを参照のこと。

[編集] 外部リンク