ミスティ・メイトレーナー

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ミスティ・メイトレーナー
Misty May-Treanor
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1977-07-30) 1977年7月30日(46歳)[1]
出身地 カリフォルニア州ロサンゼルス[1]
ラテン文字 Misty May-Treanor
身長 175cm
体重 70kg
選手情報
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
2004 女子ビーチバレー
2008 女子ビーチバレー
2012 女子ビーチバレー
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ミスティ・メイトレーナー(Misty May-Treanor, 1977年7月30日 - )は、アメリカ合衆国の元女子バレーボール選手、元女子ビーチバレー選手。旧姓メイ(Misty May)。

女子ビーチバレーにおいて、世界歴代トップの通算112勝を誇る[2]

カリフォルニア州ロサンゼルス出身、同ロングビーチ在住[1]。夫にロサンゼルス・ドジャースマット・トレーナー(2004年11月に挙式)、従兄弟にプロテニステーラー・デント選手がいる[1]

来歴[編集]

カリフォルニア州のニューポートハーバー高校、ロングビーチのカリフォルニア州立大学でインドアの選手としてプレーしキャリアを積む。1999年バレーボールアメリカ合衆国女子代表に選出されたものの、ビーチバレーに転向した。

2000年ホリー・マクピークとペアを組み出場したシドニーオリンピックで5位入賞。ケリー・ウォルシュ(現:ケリー・ウォルシュ・ジェニングス)とのペアで出場したアテネオリンピック(2004年)および北京オリンピック(2008年)において、2大会連続で1セットも落とすことなく、それぞれ金メダルを獲得した。

北京五輪後、リアリティ番組『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』のためにダンスの練習をしていた際、アキレス腱を負傷したが、その後、競技に復帰。

2010年には別のパートナーと組んでプレーしていたが[1]、自身最後の公式戦となるロンドンオリンピック出場を踏まえ、「最後はやはり、この人と一緒にプレーしたい」[3]という思いから、2011年にケリー・ウォルシュ・ジェニングスと再びペアを組んだ[1]

2012年、ロンドンオリンピックにおいて、メイトレーナーとウォルシュ・ジェニングスのペアは、わずか1セットを落としたのみでオリンピック3連覇となる金メダルを獲得。3大会を通して合計21試合に全勝し、セット数では42勝1敗という記録を残した[4]。ビーチバレーにおけるオリンピック3連覇は、これが史上初である[4]。メイトレーナー個人としては、通算112回目の公式戦優勝となった[2]

メイトレーナーはこれをもって、オリンピックのみでなく公式戦から完全に引退し、今後は子作りに励むという[5][6]。また、2016年リオデジャネイロオリンピックでは、客席からケリー・ウォルシュ・ジェニングスを応援するつもりだという[3]

また、ビーチバレー世界選手権でも、2003年、2005年、2007年に3連覇を達成した。

2016年7月、メイトレーナーはバレーボール殿堂入りの栄誉に浴した[7]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f Beach Volleyball Databaseによるプロフィール 2012年8月2日閲覧。
  2. ^ a b Career Leaders Beach Volleyball Database 2012年8月9日閲覧。
  3. ^ a b ロンドンオリンピックでの金メダル獲得直後にNBCで行われたインタビューより(アメリカ時間の2012年8月8日夜放送)。
  4. ^ a b Misty May and Kerri Walsh's three-peat won't be repeated NBC Olympics 2012年8月9日付
  5. ^ Misty May-Treanor & Kerri Walsh Jennings Talk Huge Olympic Win & Future Plans Access Hollywood 2012年8月9日付
  6. ^ ロンドンオリンピックでは毎試合直後、NBCの試合中継カメラを通して、夫マットとドジャースを励ます言葉を送るのが恒例になっていたが、決勝戦後には「マット、以前から言ってた家族作りを始めましょう」というメッセージを送った。
  7. ^ バレーボール殿堂. “Meet the Class of 2016”. 2016年9月8日閲覧。

外部リンク[編集]

ジョージ・W・ブッシュ(中央)とメイトレーナー(左)、ケリー・ウォルシュ(右)