ミゲル・アンヘル・アングロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ミゲル・アンヘル・アングロ Football pictogram.svg
名前
本名 ミゲル・アンヘル・アングロ・バルデレイ
ラテン文字 Miguel Ángel ANGULO
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 1977年6月23日(37歳)
出身地 オビエド
身長 180cm
体重 74kg
選手情報
ポジション FWMFDF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1996
1996-2009
1996-1997
2009
スペインの旗 バレンシアCF B
スペインの旗 バレンシアCF
スペインの旗 ビジャレアルCF (Loan)
ポルトガルの旗 スポルティング
15 (2)
313 (43)
32 (9)
4 (0)
代表歴
1994-1995
1997
1998-2000
2000
2004-2007
スペインの旗 スペイン U-18
スペインの旗 スペイン U-20
スペインの旗 スペイン U-21
スペインの旗 スペイン U-23
スペインの旗 スペイン
7 (4)
7 (2)
14 (3)
5 (1)
11 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2010年5月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミゲル・アンヘル・アングロ・バルデレイMiguel Ángel Angulo Valderrey1977年6月23日 - )は、スペインオビエド出身の元サッカー選手。元スペイン代表である。

経歴[編集]

クラブ[編集]

スペイン北部のオビエド出身で、1994-95シーズンにスポルティング・ヒホンの下部組織に加入するが、1995年夏にバレンシアCF・メスタージャに移った。1996-97シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)のビジャレアルCFにレンタル移籍し、1997年夏にバレンシアCFに復帰した。

クラブチームで頭角を現し始めたのは1998-1999シーズン。この年に背番号10番を背負うと、自慢の快速を生かし、クラウディオ・ロペスとの2トップでチームの高速カウンターアタックを支える中心選手となった。2001-02シーズンと2003-04シーズンにはリーグ優勝を果たし、2004年にはUEFAカップ決勝でオリンピック・マルセイユを破って優勝した。2004年夏には日本ツアーで来日しており、2試合2ゴールと大きなインパクトを残して帰っていった。2004年夏、プレミアリーグアーセナルFCへの移籍が内定し、メディカルチェックも済ましていたが、「俺のハートがバレンシアに戻れと言った」と発言して土壇場で翻意した。

2007年12月20日、ロナルド・クーマン監督はアングロとサンティアゴ・カニサレスダビド・アルベルダに対して戦力外通告を行った。2008年4月にクーマン監督が解任され、ボロ新監督の下、3人はトップチームのメンバーに復帰した。4月27日、ホームでのCAオサスナ戦でリーグ戦に復帰し、ダビド・ビジャとの途中交代で5分間だけ出場した。2009年8月、チームの若返りを図るウナイ・エメリの構想外となり、バレンシアCFとの契約を解除した。90分間を通して攻守に走り続ける献身性とその万能性を歴代監督に買われ、コンスタントに一定数の出場と得点・アシストを10年間に渡り記録した。

2009年8月後半、スーペル・リーガスポルティング・リスボンと1年契約を結んだ。同年12月、スポルティングを退団、引退を発表した。

代表[編集]

1995年にはスペインU-18代表の一員として欧州U-19選手権で優勝し、さらに1998年にも同U-21代表の一員としてU-21欧州選手権で3位に入った。2000年にはスペインU-23代表のキャプテンとしてシドニーオリンピックに参加。決勝のPK戦でPKを失敗してカメルーンに敗れるも、銀メダルを獲得した。その後しばらく代表とは縁の無い選手生活を送るが、2004年スペイン代表に初招集され、イングランド戦で、途中出場ながらA代表デビューを飾った。

2006年10月、スウェーデン戦で約2年ぶりに代表復帰した。

エピソード[編集]

  • 来日ツアー時に日本のファンから「今シーズンは20ゴール頼むよ、20ゴール!」というリクエストが出されたが、「無理だ(苦笑)」と爽やかに言い放ち、日本人ファンからの人気をさらに高めた。
  • 熱血という言葉がピッタリ当てはまる選手で、自分が決めたゴールを喜びすぎて退場処分を受けたり、サポーターを侮辱した相手選手に激しいタックルをかまして退場処分を受けたり、下部組織の後輩の仇打ちに肘鉄を見舞ったりというお茶目な一面もある。
  • 人差し指を天に向けるゴールパフォーマンスは、2006年12月に亡くなった彼の母に捧げるものである。2007年に結婚した。
  • スポルティングへの移籍に際し背番号17を選んだ理由は「気持ちはまだ17歳だから」というものである。
  • 本人曰く、向いていると思うのはセカンドトップサイドハーフだという[1]

所属クラブ[編集]

タイトル[編集]

オリンピック
男子競技サッカー
2000 男子競技サッカー

個人成績[編集]

クラブ シーズン リーグ カップ 欧州カップ 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ビジャレアルCF 1996–97 32 9 5 1 - - 37 10
通算 32 9 5 1 0 0 37 10
バレンシアCF 1997–98 28 2 3 2 - - 31 4
1998–99 35 8 6 1 10 3 51 12
1999–00 29 5 3 0 16 3 48 8
2000–01 28 0 2 1 10 0 40 1
2001–02 26 4 0 0 5 2 31 6
2002–03 24 4 4 0 11 2 39 6
2003–04 22 2 5 1 9 2 36 5
2004–05 25 3 3 0 5 0 33 3
2005–06 32 6 3 0 1 0 36 6
2006–07 36 6 3 2 10 2 49 10
2007–08 16 2 0 0 4 0 20 2
2008–09 11 0 3 1 2 0 16 1
通算 312 42 35 8 83 14 430 64
スポルティング・リスボン 2009–10 4 0 2 0 3 0 9 0
通算 4 0 2 0 3 0 9 0
通算 348 51 42 9 86 14 476 74

脚注[編集]

  1. ^ 「この才能をバレンシアに捧ぐ」、ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2007年5月17日号、20-22頁

外部リンク[編集]